別冊「ペリカン時代」 -130ページ目

JUMP

お肉屋さんのサービス券の期限が今日までだった。

思い出してよかった。2回分の買い物で520円分もサービス券がたまっていた少々上乗せしてステーキ肉の一番安いのを多めに買い昼食で完食。

お店は高円寺純情商店街の「ジャンプ」を利用している。


純情商店街といえば・・・20年前、詩人のねじめ正一さんにインタビューの仕事でお会いしたことがある。創刊もしくは、2号めぐらいの白夜書房「パチンコ必勝ガイド」で、パチンコ好きの有名人お三方にパチンコ愛を語っていただいた。ねじめさんは、パチンコ屋に集まる人たちの情緒についてお話してくれた。いまは本が手元にないのが残念。




カトリック高円寺教会

何もなさそうな道を歩く散歩の途中、大きな教会を見つけた。

のぞいていたら年配の女性職員さんが出てきて「どうぞ、入って見てください」と声をかけてくれた。やさしいってこういう咄嗟の反応だ。私は電話でも訪問でも警戒心が先立つ。

教会のなかは、左右の窓のステンドグラスが立派だった。西日が入って紫、緑、オレンジのガラス色がきれい、中央には赤いバージンロード。その気になって腕を組んで祭壇まで歩いてみた。

あ・・・? この感化されやすい性格と警戒心の強さ。・・・風が吹くと裏と表がころっと変わってしまうような単純さ。


あとで調べたらこの教会は80年の歴史があって、東京で10番目にできた教会だった。

昭和20年の東京大空襲ですべての建物が焼失し、その4年後、いまの聖堂が再建されたそうだ。




リライト中

絵でも字でも うまくかこうなんてとんでもないことだ


今日も守一先生の言葉をわすれそうになった。

米を買ったりアイスを大量に買ったり、自転車で町の人のファッションチェックをしながら走った。

家の前の角をまがると、新宿の高層ビルがみえる。警告灯の赤いランプがきれい。

寝すぎ

3年前ある出来事で大打撃をうけたことがある。心と体がバラバラになりそうなひどい衝撃だった。人に相談して解決できる種類のものではなかったので、数日後にある共同作業を行う予定のあった男友達にだけ、取り乱しながらも状況を説明した。


「こんなときどうしたら元に戻れるんだろう?」

眠れない夜が続いた明け方、何度めかの電話でその男友達に聞いた。人生経験豊富な男友達は一考したあと、


「・・・獣のように洞窟にこもってじっと傷が癒えるのを待つしかないんじゃないの?」

と答えた。


物覚えの悪いほうだが、この言葉をすごく覚えている。さんざん苦しんだ数日のなかで唯一すがれる指針となった言葉だった。見たこともないのに、暗闇の中で黒い物体が叫び声を押し殺しているイメージが心にのこった。


ここ3日間、ちょっとびっくりするぐらい眠ってばかりいたのでそんなことを思いだした。その後おかげさまで何もない平和な生活なのに休息しすぎた



写真を撮らずに焼き付ける

明けて深夜。蒲田から帰ってきた。何年前の話だろう。
川崎駅から歩いて行ってみた。
多摩川沿いに歩いて、六郷橋を渡って、
そのまま第一京浜(国道15号)沿いをてくてくと歩いた。
少し肌寒い。

第一京浜は道路と歩道のへだたりが少ないのがいい。
同じ高さ、ガードレールも適当、歩道が広い。人も車も平等だ。

歩道沿いの景色もいい。町工場がおおい。

○○鋼管、○○塗装、○○研磨

 

廃屋になったままの工場やアパートもある。

 

前に来たときにみつけた廃アパートの先にもう一つ、階段の朽ち落ちたアパートがあった。
侵入禁止のロープを越えて、空き地に入った。
1階部分の割れたガラス戸からのぞくと、
真っ暗な板張りの廊下が見えて、洗濯物が干してあった。
置き去りにされたものではなく、最近の洗濯物に見えた。
玄関に、男物のサンダルと作業靴のようなものもあった。
よく見ると、ガラス戸にダイヤル式の鍵が付けられていた。
誰か、住んでいる?のかもしれない。

 

場面を戻して。

 

 

六郷橋を渡ると、高架下でテニスの壁打ちをしている子どもたちがいた。
男・女・女。高校生に見えるけれど、年齢はわからない。

 

男の子は上手で、ピンクの服の女の子は金チャ髪でスマッシュの音があまりいい音じゃない。
黒い服を着たもう一人の女の子はうんこ座りで順番を待っているようだった。

その横の公園に老人が3人。ベンチで話をしている。
伸び放題の雑草の中に、薄い桃色の小さな朝顔のような花が咲いていた。
これは映画「世界はときどき美しい」の中の花にも似ていた。

川沿いのブルーシートの家。住民の姿は見えない。
このへんの人は、おじいさんもおばあさんも自転車に乗っている。何人も何人も通り過ぎていく。
川原に、ゴルフの打ちっぱなしコースがあった。年配の男性たちがかなり集まっていた。


二駅分越して、環八に交わる。
曲がるとわりとすぐなんだな。昔住んでいたトヨタビルは。

となりに蒲田警察。
そのすぐ横に、廃スナック、廃ラーメン屋、
たしか3年前もあった。そのまま残っているのが私にはうれしい。変わらないものっていいね。「パッソルと向日葵」という曲を思い出す。めんどくさくてほっとかれている、だらしなさがいい。放置されたままの廃屋、この時代じゃ何よりもアートに見える。

トヨタビルのベランダ側、8階に洗濯物が干してあるのが見えた。
ビルの入口をのぞくと、エレベーターから宅急便の人たちが降りてきた。
ヤマトと佐川、おそらく2社。恐ろしく年代物のエレベーター(since1960)は大丈夫なようだ。


場面を戻して。

トヨタビルの前に、貝殻公園にいった。
角には自転車屋が健在だけど、店の名前を見ると、誠の友達の金沢くんちではない。

公園には、物を食べている女子高生、サッカーをしている男の子、自転車で集まっている小学生、
小学生か中学1年生ぐらいの女の子が二人。
トイレの横の噴水にも制服の女の子が数人いた気がする。

前に来たときは異様な光景だったブルーシートの人たちはいなくなっていた。

公園前の、高橋千鶴子ちゃんが住んでいたマンションがまだある。
あの子はたしか、おじいさんと住んでいた。
お誕生日に呼ばれて、ママが選んでくれた少女漫画チックな絵が描いてある四角いパコっと開く素敵な筆箱をプレゼントした。
駄菓子屋のババっちはもうない。
お母さんと二人暮らしだった富吉くんのアパートもない。あの子の誕生日には「ベーブルース」の本をあげた。

 

今回も道を迷ってようやく「太田屋本館」へ到着。
ポークソテーと生酒を注文。お酒は300mで多すぎた。
半分から先が進まないので、つまみにアスパラサラダを追加注文した。

 

復活書房とブックオフを回って帰りの電車に乗る。
乗り換え駅でも、深夜営業の古本屋をのぞく。

たぶん、ジムに通うのは向かない、好きな町を歩くのがいいと思って。

 

そんな昔日の記憶