こんにちは。

これからは当面なぜ私がFIREを夢見るようになったのか、今までの暮らしを振り返っていきたいと思います。



前回のブログに書いた通り、私は2回の転職を経験しています。

運送会社(東京勤務4年)
メーカー(長野勤務4年)
商社(全国転勤あり。栃木5年、東京2年、愛知 1年)

最初の転職はとにかくこのままの会社だと親友2人と一生付き合えないかもという危機感からでした。
運送会社で契約社員。
時給1000円、夜勤あり。
正社員になれても月収13万インセンティブ手当7万。

スキルアップ、年収アップをしないと親友と会うのが恥ずかしくなる日が来るかもしれない。

私は転職を決意しました。


物流の仕事は好きなので、超がつくほどの有名企業から零細企業まで片っ端から物流部門の求人に応募しました。

ある日、長野県にあるとあるメーカーから面接のオファーが来ました。


藁にもすがる思いだった私は面接を受けに長野県上田市ヘ。
そこで言われたのが「5年後に東京に物流センターを新設する予定で、その時の中心人物になってくれる人材を探している」というありがたい言葉。
5年頑張れば東京に帰れる算段がついた私は転職を決意。
28年の実家暮らしを終え、長野県上田市でひとり暮らしを始めることになりました。

おかげさまで年収アップ、このままこの会社に勤め続ければ親友と付き合い続けるのも恥ずかしくないと思っていたのですが…

1ヶ月で出鼻をくじかれました。
配属されたグループは直属上司と私の2人。

この上司からパワハラを受け、会社に行くのが億劫な日々が続きました。

親友からの助言で心療内科を受診することにしたのですが、その時に言われた症状が「適応障害」。

今では聞き慣れた言葉ですが、当時はそれほど馴染みのない言葉でした。


この時に救ってくれたのが親友の2人です。
彼らの助言で最終的にこの会社で4年間勤務することができたのですが…
これくらいの文章量がちょうど良く感じるので、そこら辺の整理は次回にしようと思います。

当時は本当に辛かった。。。
通勤途中に車内で奇声を上げてたもの。

今回はこの辺で終わります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。