瀬戸内寂聴の「余白の春」読み終えました。
金子文子の内縁の夫の朴烈のことも詳しい。
また、二人のことと関係なく、
明治以後、日本がどういうことを朝鮮にしてきたか、
簡単な歴史を追ってくれている。
この部分はどうも心が苦しくなって詳細を理解しようとしない自分がいた。
そして、取材旅行の件が面白い。
文子の母の実家、文子が父方の祖母、おばに苛め抜かれた朝鮮の地、そして、朴烈の故郷であり、文子の墓のあるところ、文子が自殺して一時埋葬されていた刑務所の墓地・・・
取材にいけば縁の人達と会い、いろいろな話をする。
その辺りがとても面白い。
二人を大逆罪で死刑にすることを狙って取り調べをしていった立松判事はこんな写真を撮っちゃうんだから・・・かなりびっくりだ。
二人を取り調べ考え方を知って、個人的にちょっと共感しちゃう部分があったのかなあ。
なぜか公開されちゃってもちろん判事は責任をとったし、倒閣の騒ぎまでなって・・・ていうか、倒閣を狙う人達にこの写真は利用されたってことだったみたいけれどね。
しかし、この判事さん、よくわからん。
恩赦で死刑を免れ無期懲役になった文子は、
「死」こそが魂の「生」だと思ったのだろうと寂聴さんは推察するんだけれど、
刑務所内で自殺する。
しかし、お相手の朴烈はずっと服役し、10年後ぐらいに「日本のために生き、日本のために死ぬ」と思考転向している。
戦後は出獄し、反共産主義になる。
その後、韓国に帰り(1949年)、朝鮮戦争の時に北朝鮮に捉えられる(1950年)。
1966年には反共から容共を表明している。
転向につぐ転向・・・・お空の上で文子さんはどう感じていたかな。
朝鮮の彼の故郷に取材旅行にいったとき(1970年代最初ごろかな?)の記述の中には北朝鮮で生きているらしいとある。
1974年、スパイ容疑で処刑されている。
しかし、よく降る。今日もまだ雨は降る・・・・