おばあちゃんへの想い〜hiroさんからシェアいただきました〜 | いろいろ*ぼちぼち

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気づき、ひらめき、たまーに色彩…コドモ心のおもちゃ箱♪

おばあちゃんを思い出した。
もう十何年も昔に見送ったのに、今でもはっきり覚えている手の温もり、くしゃくしゃな笑顔、そして秋田弁の優しい声・・・。

私がブログを始めた頃からのおつきあいである、hiroさんの記事を読んで、
心いっぱいにおばあちゃんの愛情が広がったよ。
要約なんて、抜粋だなんてできない!
全部たくさんの人に読んで頂きたくて・・・。
  

           hiroの七転び八起き

私のおばあちゃんのお話をさせて下さい。
前にも書いたかもしれないけど、やっぱりどこにあるかわからんちんなので、また書きます^^;

おばあちゃん(母方)は東北の農家の長女でした。
兄弟はたくさん・・・。
だからおばあちゃんの少女時代は、あの伝説の朝ドラ『おしん』そのものだったといいます。
働いて、働いて、17歳で結婚して、働いて働いて・・・
自分以外の兄弟をみんな大学に行かせました。

私が大学に進学が決まった時、おばあちゃんはとても喜んでね。
どうしてそんなに嬉しいのか、分からないほどの喜びようだったの。
入学祝いと一緒にもらった手紙には
“大学に行けてよかったね。勉強できて嬉しいね。”って何度も何度も、ところどころ鏡文字で書いてあった。

おばあちゃん、字間違えてる。
そこまで嬉しいかなあ?

18歳の、絶賛片思い中の私には、おばあちゃんの想いがまだまだ理解できる心に育っていなかったんです。

大学に入って2年目の春に、おばあちゃんは亡くなりました。
あっという間に・・・まだ若かった。
おばあちゃんの遺品の整理をしていたら、小学生みたいなノートがでてきたの。
ページいっぱいに文字の練習がしてあった。

私はこの時初めておばあちゃんがずっと文字があまり分からなくて、
60歳を過ぎてから勉強を始めたのを知りました。

『おしん』と同じ少女時代。
勉強したくても、できなかったんだ・・・。
おばあちゃんの手紙の意味が、いたいほど分かった。
あの時、分かってあげられなくて・・・ごめんね、おばあちゃんって何度も何度も心でつぶやいたんだ。

同じく遺品の中からでてきた日記・・・。
たわいもないことが書いてあって、泣いたり爆笑したり(だっておばさんの歯がとれて、騒いでいたとかまで書いてあるのよw)しながら整理はなかなか進まない。

その中に
おばあちゃんが退院したら、私の部屋をおばあちゃんにあげて、
私は弟と一緒の部屋でいいって言った話しまで書いてありました。

“まあちゃんは本当に優しい子だね。優しい子に育ってくれておばあちゃんは嬉しいです”

優しいのは、おばあちゃんだよ・・・。

でもね、私の部屋がおばあちゃんの部屋になることはなかったんだ。

ここに何をおいて、あそこはこうして、というシュミレーションだけが頭の中をぐるぐる回ったっけ。

おばあちゃんは黄色のフリージアが好きでした。
だからご命日にはフリージアでたくさん飾ってあげたいのだけど、
なくなった時期にフリージアがないんだよなあ。
去年は、元気な感じの黄色いガーベラを飾りました。

おばあちゃんの苦労に比べたら、今の私の辛さや苦しさなんて比べものにならないよね。
そんな甘ちゃんな私なのに、ふっと聞こえてくるのはあの優しい声。
“なあんも、なんも”っていう、包み込んでくれる声。

おばあちゃん、大好き。

時間が経って初めて気付く想いがある。気付かせて頂く心がある。
きっとおばあちゃんは分かっていたんだろうなあ。
今分からなくても、いつか分かるって。
分からなくても伝えていこうって。

時を経て届く“愛”。
私も届けられる人になろう。

ありがとう、おばあちゃん。
いつも側に感じてるよ。


hiroさん、素敵な記事を、大切な想いをありがとうございます!