熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)和歌山県田辺市
主祭神 家都美御子大神
社格等 式内社(名神大社)
旧官幣大社
別表神社
創建 伝・崇神天皇65年
詳しい創建年代は不明であるが、
社伝によると崇神天皇65年に熊野川の中洲、
現在の大斎原(おおゆのはら)の地に創建されたとされている。
天火明命(あめのほあかりのみこと)は、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。
天火明命の息子である高倉下(たかくらじ)は神武東征に際し、
熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂ふつのみたま」 を献じてお迎えしました。
時を併せて高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は天より八咫烏やたがらすを遣わし、
神武天皇を大和の橿原まで導かれました。
第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟いちいの巨木に、
三体の月が降臨しました。
天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)は、
これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。
すると真ん中にある月が
「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、
両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。
社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。
「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、
中洲に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
家都美御子大神については他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、
菊理媛神とも関係するとの説もあるが、やはりその素性は不詳とされる。
古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲し、
平安時代には式内社(名神大社)に列せられている。
本宮は西方極楽浄土
2021.11.21 参拝
この日の最初がここでしたが、偶然に結婚式の場面に遭遇しました。
そういう所に出会えると吉兆だそうなので、幸先良いスタートになりました。
(1)新宮駅からバスで90分
(2)紀伊田辺駅から120分
■講師及び主催