皆様こんにちは。江戸川区議会議員のます秀行です。


明日は予算委員会の最終日となりますが、(委員会は別途報告致します)今日は、ミニ勉強会が開催された江戸川区時事問題研究会について報告させて頂きます。


私は、この会に対してサポーター議員という立場をとらせて頂いていますが、今回はもう一歩踏み込んだサポートを!と言うことで私の知人をスピーカーとしてお招きしました。


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松本信雄さんより、ご本人の起業経験談や事業の立て直しに関するお話など、ビジネスマインド溢れる話題から、60歳でピタリと引退されたあとの社会貢献活動など、松本さんらしい人間味たっぷりの口調でお話を聞かせて頂きました。


私が松本さんと初めてお会いしたのは、もうすぐ4年になりますが、とある政治塾での事でした。松本さんは私と同じく塾生として学んでいたのですが、私は他に10名前後の生徒がいる中で、松本さんの澄み切った笑顔がとても印象深くそのお人柄に関心を持ちました。


自己紹介の話を聞いていても、起業された当時の苦労話や、築いてきた資産がリーマンショックによって壊滅的な打撃を受けた話、引退後に力を入れている社会活動など、聞けば聞くほどにエネルギッシュで力強い話ばかり。簡単に言えば、この激しい話と優しい顔が一致しないのです。ここが私が松本さんに関心を持つきっかけとなったのです。


以来、私は勝手に師と仰ぐようになり、苦しい時に突然にも相談に行くようになり、行けばアドバイスをもらいながらも親身になって話を聞いてくださいます。このような松本さんの姿に感銘を受けるようになりました。松本さんから私を見れば、自分の半分しか生きていない若造であり、たまたま勉強会で一緒だっただけの縁。

そんな私に対しても親身になって話を聞いてくれたり、色々な経験を聞かせてくれたりと、言ってみれば無償の情けを掛けてくれたのです。


私はまだまだ経験不足で半人前の人間ですが、今となっては、追いつき追い越したい先輩リストにしっかりと松本さんの姿が映るようになってきました。

出会いとは本当に不思議なものですが、出会った以上は大切にしたくなるのもまた出会いなのですね。


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☆☆☆☆☆★★★★★松本信雄さんのプロフィール★★★★★☆☆☆☆☆


松本 信雄(まつもと のぶお)松本信雄オフィシャルサイト

 

1949年、東京荒川区尾久生まれの団塊の世代

22歳で日本大学生産工学部管理工学科卒業後商社に入社

24歳でインドネシア駐在

30歳で独立し、文具製造のメタック産業株式会社を資本金800万円で設立する

しかしなかなか目が出ず、内面を鍛えるため白山の妙清寺にて座禅に親しむ、この折、「赤い顔」代表の直井高一郎氏に出会う

35歳から文具関係の工場に出資するが出資先が間もなく倒産し、さらに事業として低迷する

40歳この会社に立て直しのため自ら乗り込み再建に乗り出す

引き継いだ当時社員は7名で、年商1億7千万円の会社だったが、4年後の退社時には27名、6億7千万円の会社に再建した


以降、商社に在任した経験から「文具を日本で作る時代は終わった」と感じ、この会社を離れ、メタック産業株式会社としてファンシー文具の海外生産を始めた

台湾、韓国、当時は香港経由で中国との取引をはじめたが、中国との直接貿易が解禁になると一早く中国の文具工場を開拓し業界のパイオニアとなり、ピーク時17名で年商13億円を超えた


60歳で心の命ずるまま事業を友人に譲り、メタック産業株式会社を資産管理会社、株式会社メタックとして現在に至る

セミリタイヤ以降は「志塾」にて政治と教育を勉強し、「日本カウンセリング協会」にてカウンセラーの資格を得て、現在国内外の「無名の世のために尽くす人たち」を応援する社会活動に力を注いでいる


2008年その勉強中にたくさんの地方の素晴らしい人たちに出会ったが、その中の一人奄美大島の三浦一広の非行少年たちに関わる活動に感銘を受け、彼のノンフィクション小説「結いの島のフリムン」(ペンネーム・春日しん)を自分で書き上げ、昨年講談社から出版。

『結の島のフリムン』はコチラから

その縁で現在、128代奄美観光大使拝命、(この任はフリーアナウンサーの宮崎緑氏、俳優の的場浩二らも名を連ねています)、三浦氏の活動母体、NPO法人「ゆずり葉の郷」の顧問も兼ねている。


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最後に懇親会で記念の一枚を。次回の江戸川区時事問題研究会は4月の予定との事です。どなた様もご参加してみてください。

http://www.edojiji.com/wordpress/ (江戸川区時事問題研究会)