ララが居ない2度目の夏、去年の夏は何をして過ごしたのかと思いTwitterを遡ってみた、大したことはしていない(笑)。でも、ツィートはララのことがメイン不慮の死を迎えたララ、飼主としては納得は出来てない。私の手の中で眠るように逝ったことがせめてもの救いにはなってる。短い間ではあったけど、飼い主の手の中にいることを認識して、末期の水も飲ませることができた。しばらく甘ったれた声で鳴いていたけど、静かになって冷たくなってしまった。放鳥部屋でカイロで必死に温めて意識が戻ったら、何時ものように手からお気に入りの場所に行こうとした。この、時点で助からないと悟った。両足が伸びて戻らない、元気だから大丈夫と思わせる?行動をする。近所に鳥専門の獣医師はいない。危ないので居間に移動した。それから、どれくらの時間で永眠したかは記憶にない。奇跡はおきないことはわかっていた、でも奇跡が起これと念じた。どうして、そうなったかは見てない何時ものように階下で書き物をしていた。ふと、今日は静かだなと思い様子を見に行ったら籠で冷たくなりかけていた。変だと思うのが遅かったら最後のお別れも出来なかった。この文章を書きながら涙ぐんでるダメな飼主だ。今年は30年前のカートリッジでLPが再生できるかチャレンジしている。何をしていてもララと過ごした夏ほど楽しくはない。