ココでは、現代の「洋・礼装」コーデは “過渡期”に あると 何度か書きました。
今回は、「洋・礼装」の近代以降~現在に至るルーツについて。
ちょっと ややこしい話になりますので、ご興味がお有りの方のみ 頑張ってお読みいただければと....。
永い歴史の中で、フォーマルのコーデも それなりに 簡略化を果たしているのは事実
でも、その切り替え/進化には むっちゃ時間が掛かることも これまた事実 
じれったいのですが まだ “過渡期” の最中なんです
性急な“お勝手”は やっぱ しないほうがイイです。
そこで、今回は改めて 近代以降から今日へ至る 「礼装」装束 の 時代変遷について..... 
現代まで 繋がっている 『 洋・礼装 』 は、
① ナポレオン と ② 英・王室 の 強い名残り が 随所に残存しています。
本場「 礼服 」の 試行錯誤 が繰り返された、
おおよそ 1800~1900年初頭 の1世紀間(約100年間)の影響が
現代まで 伝承されているコーデ&アイテムに 近いモノと考えます。
※この系統分類については 諸説(大別しても3説)あり、ここではその系統を限定する趣旨ではありません。
私自身が 改めて 歴史的な時間経過と事実のみを編纂し、参考的資料として表にまとめ直したものです。
★ ナポレオンの軍服
フランス革命後、欧州圏の帝国化を目論んだ ナポレオンは、
1804年に 王族の王位を凌駕する 『皇帝』に 自らなりました。
1804年に 王族の王位を凌駕する 『皇帝』に 自らなりました。
当時の軍は 騎馬部隊だったため、機能的な進化と、
(おフランス流儀もあってか) 軍服由来の礼装は 華美なボタン使いが目を引きます。
★ 大英帝国のプライド
英国は、エリザベス1世の時代から1900年代初頭まで、
海外植民地政策を積極的に推し進めました。
海外植民地政策を積極的に推し進めました。
1900年代初頭時点には、地球上の土地の約6分の1が英国領だったそうですから、
そりゃ 間違いなく帝国ですワ
「礼装」コーデも この頃に 英国(英王室)から 変えられたアイテムは少なくありません。
大英帝国には、フランスを含む、反大陸欧州感情/対向意識 は ずっとあったはず
「礼装」でも オリジナル性を競い、
王室員自らがアイコン/モデルとなって 「主流」をアピールしていたフシもあります。
面白いのは ナポレオンから 大英帝国への主役交代までには 大きな 年代の隔たり が ありますが、
ナポレオン帝国 も 英国も 緯度が高い欧州地域であったこと、そして、当時は 製造技術的なこともあったのでしょう。
本場装束の「礼装」上着は『 長尺のコート 』だった点は 変わりありませんでした。
コレが ゆっくりゆっくりと簡略化・機能化がさらに進み、
そのひとつの支流は、今、私達が着る『スーツ』へと至っています。
ロシア生まれのスイス人資産家:アンリ・モーゼルの肖像写真は、
ちょうど1900年に撮影されたもののようです。
まだ タキシードが 最礼装ではなかったこともあって、
典型的な フラック着用の モスト・フォーマル(第1礼装)という いでたちです 
こちらは1906年に撮られた 第26代 アメリカ大統領:セオドア・ルーズベルトの写真です。
コールパンツをアワセていますが、
この頃は まだ「モーニング」のコーデルールが 確立していない過渡期に当たります。
上級社会の「執務服」(執事などの装束)をベースに
礼装上着 を +α した 格式MIXの「公務礼装」コーデだったのでは 
上着の丈は まだいかにもコート。 衿にはキッチリと「拝絹」があしらわれています。
1800年代後半には すでに ネクタイはありましたが 略装アイテムであり、
上流階級では 普段着でしか用いられていませんでした。
上流階級では 普段着でしか用いられていませんでした。
ところが、1902-3年頃から 本当に 短期間で 急速に世界中に広まり、(その理由は判としません....)
1905年には 英王室員の英国軍服のVゾーンには ネクタイがコーデされていました。
これは 元々、略装 でしたが、今では こちらこそが フォーマルシーンでも多用されるアワセになっていますよね 
「礼装」 が 切り替え/進化している 一例です。
ラグビーW杯 も 大英帝国時代の名残りがあるんだなー
ラグビーの発祥は、英国(UK;“連合”王国)です。
ラグビーは、中流階級以上の「名門校」で盛んに行われてきたそうで、
「ジェントルマン・スポーツ」の自負があるのでしょう 
でも、この 大英帝国目線 や 過ぎるプライドが、
先日のスコットランドラグビー協会 CEOのトンチンカンな発言に繋がったようにも思えます 
( ...それ言ったら、紳士も スポーツマン・シップもあったもんじゃないでしょ
)
今回のラグビーワールドカップ2019
では 出場国20ヶ国のうち、
6割 =12ヶ国は「大英帝国」の国です 
それだけ、英国の影響あってのラグビーでもありますが、しっかし多いですよねー
ここに 歴史的に属さなかった 残4割の国は、
日本、ロシア、ジョージア、アメリカ、イタリア、フランス、ウルグアイ、アルゼンチンでした。
カナダも英連邦王国のひとつですし、太平洋の小さな島しょ国も すべて 大英帝国の息子なんです
また、アルゼンチンは 1933年にポンド経済ブロックに加盟して、
帝国内部間の輸出入関税率優遇制度で 国内不況をしのごうとした関係性があります。
さらに、1982年には アルゼンチン本土から 東京-大阪程度しか離れていない 諸島を巡って、英国が かつてから実行支配していた領有権を争う「フォークランド紛争」もありました
なお、フォークランド諸島は 現在もエリザベス2世女王を仰ぐ英国の領土のままです 
ラグビー普及とは関係ないものの、アルゼンチンは ある意味、英国とは 縁が切れない微妙な間柄です 
文献によって、結構、解釈には ばらつきがあり、挿絵のあるものを見比べて年代を組み直してみたものの、
それぞれの服飾デザインの登場に関する年月はブレても10年以内で、この点はそんなに問題ないのですが、
どのデザインが どこからの派生かという部分では結構違っていました。
フランスの学者の言い分と UKの研究者、アメリカの服飾の歴史を書いた本などなど...
その言い分には だいぶ差違があることは 確か 


“ 本家と元祖 ”合戦 の 様相です
“ 本家と元祖 ”合戦 の 様相です
テール・コートを 元々が喫煙時の上着だった平服(カジュアルスーツ)様にアレンジした。
それこそが「タキシード」なのだと..... 
この当時、「タキシード」はあくまで 正・礼装(第1格式)のなんちゃって版なので、
Informal = 略・礼装(第3格式)だったワケですね。
それでも、当初、Vゾーンは ホワイト・タイをアワセてます
“ 本家と元祖 ” の ハナシなので、
どれか1冊の資料本だけで結論付けるのは とても無理があります。
よく “ タキシード ” の元デザインが何だったのか 雑誌のキャプションにもサラリと出てきますが、
ネットで調べた 某「 大百科 」とか だけからの引用では それ、ちょっと危ないのでは 






