金色の時計塔 上 | Phillius en Ciel

金色の時計塔 上

プロローグ

明神は路地を歩いていた。
 花を売っている店を見てふと笑った。なぜなら花の店には彼にとって特別なものがいる店だからである。彼はドアを開けた。はーい、と二十四時間勤務の女性が答えた。
明神を見ると彼女は微笑んだ。そして指差した。
「明神さん、お目当ての品はあちらですよ」
そう、明神は毎回気に入っている品を見に来ているのだ。一流大学を卒業後、会社勤めを経て探偵になった。気に入っている品は古い時計塔の金色模型で、彼の収入では手が届かないような高価な品だった。彼のもう一つの目当てが、たったいま彼に向かって微笑んでくれたレジの彼女だった。彼女は別れた夫の手を逃れてこの店にやってきたらしい。
 明神は金の時計塔を素手でなでた。すると店の奥から怒鳴り声が聞こえた。
「明神さん!またあんたですか。何度言ったらわかるんですか?素手では触らないでください!」
 それは店長の女性だった。怒鳴られた後にあわてて店を出るのも定番になってきた。彼はすぐさま別れの言葉も聞かずに路地に飛び出した。そしてふと思った。店長さんの顔を少しも見ていないな、と。そこでそーっと店に忍び寄ってみた。すると店長さんがレジの彼女を怒鳴りつけているところを目撃してしまった。彼はまた一目散に走った。心臓が踊っている。だが走り続けた。
 街路地を越えたところに明神の家はある。家といっても事務所をかねている、アパートスズキ壮が彼の家だ。彼は二階に上がった。そこにはおなじみの猫がいた。ゴロゴロとのどを鳴らすので明神は勝手にゴロと名づけていた。ゴロは明神が家に帰ってくるとまたしても家に入りたがった。明神はなぜ猫が入りたがっているのかを知っていた。
 彼の家の隣にすんでいる菅田さんは猫が嫌いなくせに猫を飼ってしまったというひねくれものだった。もっとも彼の娘は喜んだが。家に帰るといつも隣の怒鳴り声が聞こえる。最近の調子だと仲がうまく行ってないらしく、娘さんが家出するのも時間の問題だ。
 ゴロはいつも明神のクッションを占領して寝てしまう。菅田さんはもうもらってくれと言っているが餌代がかかるので一応預かっているという形でゴロはうちに来ている。彼の本棚には推理小説や探偵ものがいっぱい並んでいて、へたをするとゴロが倒してしまうかもしてない本の塔もあった。彼のお気に入りは明智小五郎と古畑で、その本はそこらじゅうに散らかっていた。デスクとして使っている硬いダンボールは引越し業者がきたときにもらった。そんな彼でも頭脳は抜群だった。明地小五郎よりも先に犯人を見破るほどだった。だから普通な推理小説などはつまらない。そんな時彼の友人が言った。
「お前が推理小説書けばいいじゃないか。そして誰もわからないようなトリックを考えてやれ。俺が第一読者になるからさ」
そんな一言で僕の探偵兼推理小説家の日々が始まった。僕が最初に書いた小説は誰もトリックを見破れなかった。次に書いた小説も、また次に書いた小説もトリックが複雑で誰も解けなかった。そんな彼の本は友人の手を経て連載されるようになった。これで少しは収入の足しになるだろうと明神は思った。

 一方、依頼者もどんどん増えていった。雑誌への連載が増えたせいでもあるが、そこまで増えてしまうとだらけていた毎日が恋しくなった。収入はどんどん入っていった。カリスマ探偵の地位までのし上がった。だがまだ金色の時計塔には手を出していなかった。彼の本望、金色の時計塔の入手は最終段階として計算していたのである。
 彼はいくら高い料亭の料理を食べても、いくら高い服を着ても金色の時計塔のことをいつも思っていた。
 ある日、彼は十年ぶりにあの店を訪ねた。金色の時計塔はまだショーウィンドーの中に納まっており、あのレジの女性もまだそこにいた。十年分老けたといってもまだ美しい女性だった。腕に赤いブレスレットをはめ、明神が店に入ってくると彼女は歓迎した。
「あら、明神さん!十年ぶりですね。まだあなたのお気に入りの品はまだありますよ」
そして店長の女性が出てきた。彼女はふてぶてしい顔で明神を見た後、こう言った。
「あなたが来てくれないと調子が出ませんでしたよ」と。彼は初めて彼を必要とする人間がいると言うことを知った。

 翌日。彼はいつもどおりの職務をこなしていた。午前中には痴漢を訴える女性が来て話をした。三時には出版社へ向かい、彼が書いた十本目の推理小説の原案を手渡した。四時に帰宅した時だった。彼の事務所の周りにパトカーと数人の警察官が立っていた。明神を見ると刑事は尋ねた。
「あなたが明神剛さんですね。あなたの家で死んだ女性の遺体が見つかりました」
そのとき、彼は頭の中が真っ白になっていくのを感じた。



「彼女の名前は須崎三千代。68歳。勤め先はここから十分もしない雑貨屋。あなたはこの雑貨屋の常連でしたね」
暗い取調室では刑事と容疑者が一対一(サシ)で対立する。もっとも明神は容疑者側になるとは想像していなかった。
 一分ぐらい立ってから明神ははい、と答えた。
「それから被害者は自宅に帰宅。それからテレビを見てから夜の散歩へ。それから家には戻ってこなかった。これは隣の家に住む50歳の老人からの証言です。では聞きましょう。そのときあなたは何をしていましたか?」
この質問の答え方でアリバイの信憑が問われるだろうと明神は思った。だから頭の中で巧妙な構図を組み立てた。

 五分後、明神が言った。
「私は痴漢事件の捜査書の整理と小説の執筆をしていました」
「何時間ぐらいですか?」
「かれこれ6時間ぐらいでしょうかね。なんせやっているうちに夜が明けてしまったもので」
「ほう、そんなに熱心に」
「はい、それが仕事なので」
刑事は質問攻めをやめた。そして改めて明神に向かって座りなおした。
「ではそれを立証できる証拠はありますか?」
鋭い質問だった。これもアリバイの信憑が問われる。十分考えた。そして言った。
「隣の人の所まで鍵の音が聞こえるはずです。六時間ずっと鍵の音が聞こえなかったなら部屋に六時間はこもっていることとなります。僕が帰宅したのが9時。それから六時間後は午前5時。その時間から事務所に出ていました。だからおとといは一度も眠っていませんね。昨日かえってぐっすりと眠るはずでしたが・・・」
「これはすいません」
刑事が謝った。明神はこの刑事の態度が気になった。完璧すぎたか・・・?。アリバイが完璧すぎるほど人間はそれを崩したくなるものだ。どうだろう?彼は困惑したようだった。アリバイが完璧すぎるのだろう。
「わかりました。すぐお隣さんに連絡してアリバイを証明してみましょう。お手数ですがお待ちください」
「わかりました」
ふう。明神はふと息をつかずに入られなかった。今第一の関門を抜けたのである。
 そういえば、須崎三千代さんって誰だろう?あの雑貨店のレジの人はそんなに年じゃないし、店長さんは70を言ってそうだ。そう考えてみると誰なんだろう?
 
警察からはお隣さんからの証言により釈放された。家に帰ったのは九時過ぎで、あの雑貨屋にもよる暇が無かった。お隣さんにお礼を言うと彼は家の中に入った。
 彼は眠かった。十分ともしないうちに眠りに落ちた。彼は疲れていた。ついつい時計を無視して朝の九時まで寝てしまい、翌日事務所のマネージャーに怒られた。今日の事件は麻酔自殺未遂が一件、強盗が一件、そして殺人事件が一件だった。
彼が殺人現場に行ったときには昨日の取調べをした刑事が立っていた。
「ああ、明神さん!」
彼は声をかけた。明神はきちんと会釈を返した。すると彼は会釈に答えた。
 殺人現場は悲惨なものだった。家具や時計はあちらじゅうにとびまわっており、検察官も来ていた。
「お、明神!」
検察官の一人が声をかけた。彼の刑事時代の親友、田中友康だった。
「お前がこんな事件にも首を突っ込んでいるとは知らなかったな」
彼らは笑った。
「だがこんなところまで捜査をしにくる検察官も検察官だろ」
「まあ、そういうな。俺の性格は知っているだろう?自分の目で確かめなきゃいけないタイプでね。そのせいで警察からクレームもらったって知ったこっちゃない。ところでお前、元気か?」
「ああ、元気だよ。昨日なんか警察の取調べをこの年で受けたんだぜ」
「お前、なにかしたんじゃないか?痴漢とか・・・?」
「はあ?俺がそんなことやる人間に見えるかよ?警察はそんな痴漢事件ではなく殺人事件の容疑者として取り調べたのさ」
すると田中は急に考え出した。田中の昔からの癖だった。彼は会話の途中でいきなり考えをめぐらしだす。そして答えを導き出すのがいつものパターンだった。
「その殺人事件、どこで起こったんだ?」
「迷惑なことに俺の家の中さ」
「ふーん、お前の家の中・・・」
彼はまた考え込み始めた。明神は一人、殺人現場へと向かった。
「鑑識さん、なにかおかしな点はありますか?」
「うーん、ちょっとしたことなんですがね」
「はい?」
鑑識のおじさんは被害者の口の中を指差した。
「歯が無くなっているでしょう?おかしいと思いませんか?どんなに強くぶってもここまで歯はなくなりませんよ。彼はまだ二十歳過ぎなので入れ歯ということもなさそうですしね・・・」
ふーん。たしかに変なことかもしれない。明神が思った。被害者の男性は無残にも大の字に倒れていた。

 二つの殺人事件の関連性は・・・?
 明神は自宅のデスクで考えていた。どちらも自宅から百メートルもしないところで起こっており、自分にももしかしたら関係があるのかもしれないと思うと背筋がブルッとするのだった。彼は自分では誰にも恨みを買っていないと思っていた。彼は誰かと交わることをあまり得意としなかったし、第一彼のコミゥニティーの小ささには誰もが気づいているだろう。コミゥニティーの輪を広げようと努力したことはないしようとする気も無かった。彼はただ明日のことを思って生きてきたと自分自身では思っている。だが金色の時計塔は別だった。彼は初めて、真実の次ぐらいにきれいなものが存在することを知った。明日のことでもなく未来のことでもないものにお金を費やすと言う欲望が彼の心の中を徐々に広がっていった。

 検察庁では田中が推理していた。二つの殺人事件が彼の友人の半径百メートル以内で起こっており、最悪の場合明神までもが狙われることを恐れていた。だがもしかしたら明神が犯人なのではないか?彼は文学と数学については天才だったし、考古学もすごかった。学年ではいつもトップの成績だった。かれは論理的思考にも優れていたが・・・。あの明神がやるわけが無いと彼の頭の中から声がした。すると別の声が彼は理屈が通れば何でも出来ると言った。たしかにどちらも真実だった。明神は学生時代から自分にお面をかぶせているような警戒心を持ち、そして気持ちは顔には表れない特質があった。明神は理屈が通ればたとえ自分を貶めることさえ出来ると言っていた。だからこそ不気味だった。彼が真犯人なのか、それとも無罪なのか?二つの勢力が彼の頭の中で戦いを繰り広げていた。





とある雑貨屋のレジの女性は十一時を時計が知らせたのを聞いた。彼女の視界は徐々にぼやけ始めていた。店長さんはもう帰ってしまったし、自分は夜勤だった。するとドアのベルが鳴った。うとうとしていた彼女は飛び起きた。
「いらっしゃいませ」
と眠い声でお客さんに接待した。目を上げるとそこには明神が立っていた。
「こんばんは、許斐(このみ)今日子(きょうこ)さん。金色の時計塔を買いに来ました」
えっ。彼女はあせった。明神が金色の時計塔を買うということはこの店にはもう来ないということを意味しているからである。なぜなら彼は金色の時計塔を目当てでこの店に来ていたのであってほかのショーウィンドーの商品を眺めに来ていたのではない。彼女は明神に好意を寄せ始めていたのだった。
「何円でしたっけね?」
明神の口調が気になった。彼はいつも店長の女性が怖くていつも声がどこか弱弱しかったが、今の声は自信に満ち溢れた力強い声だった。もしかしたら前に訪れたときに店長の女性に言われた言葉がきっかけになっているのかもしれない。だけど商品を売らないと言う態度を示しては店員としては失格なので10万円です、と答えた。
「わかりました。えーっと」
また明神の口調が気になった。なんだかやさしい声になったような気がした。
「なんで急に買いに来たんですか?」
彼女は失礼だと思いながらたずねた。明神は何も言わず立っていた。財布から一万円札を十枚抜き出し黙ってレジに置いた。やっぱり失礼だったかと彼女は少し後悔した。明神はそのまま支払いを済ませ、店から出ていった。
ふーっ、とため息をついた瞬間、またドアが開いた。
「い、い、いらっしゃいませ!」
眠気と驚きで答えたのでお客さんに失礼だったかもしれない。だが入ってきたのはまた明神だった。
「あ、明神さん。今度はどうしたんですか?」
彼女が聞くと明神は一瞬にして硬い表情になった。なにかを決意したような表情だった。
「裏に回れませんか?」
明神が言った。彼女は戸惑った。だがコックリとうなずいた。

裏の路地は薄暗かった。なんで自分をこんなところまで連れてきたんだろう?と自分自身に問いかけてみたが、答えは返ってこなかった。
「あの、明神さん?」
問いかけたが、答えは無かった。自分がひとりになった感じがして寒気が差した。だが明神が突然振り返った。
「ここなら誰からも見られませんね?」
「そうですが・・・」
すると明神はいろんな方向に注意を向けながら言った。
「逃げてください」
「え!?」
「繰り返します、逃げてください」
「なんでですか!?」
「貴女が近辺で起こっている殺人事件の犯人でしょう?」
「え!?」
彼女は凍りついた。なぜこの男は知っているんだ?私の秘密を・・・。読心術で心を読まれたみたいな感じがした。だが明神にはうそは通用しなさそうな気がした。
「なんで私がそんなことを・・・」
思わずうそをついてしまった。明神の目がジロッと彼女を見つめる。
「赤いブレスレット。今日はつけてませんね・・・」
「は!」
彼女はそのブレスレットを前から探していた。
「貴女のブレスレット、これですよね?」
明神がポケットから取り出したのは精巧な細工がしてある赤いブレスレットだった。
「どこでそれを・・・?」
「室井浩輔という哀れな男性が倒れていた家のカーペットに落ちていました。争ったときに落としたのでしょう?まあ、気づかなくても当然ですがね・・・」
彼女はますます動揺した。彼女は全ての証拠を抹消したと思っていた。だが明神は・・・この男は動かぬ証拠を持っている。
「私はこのブレスレットを前、店に来たときあなたがはめているのを見ました。探偵をやっていて普段から記憶力がいいので、殺人現場に落ちていたときすぐあなたのものだとわかりました」
彼女はうなだれた。
彼が一瞥しただけでこれだけ見抜いたならば、警察や検察が見抜けないわけがない。たぶんだから逃げよ、と言っているのだ。だがなぜ明神が?
「あの・・・なんで警察に言わなかったんですか?」
「え・・・?」
明神もこの質問はあまり想像していなかったらしい。明らかに動揺していた。
「それは・・・その・・・えーっと・・・。あ、でもあなたは捕まりたくないでしょう・・・?」
「それはそうですが・・・」
それだけではまだ不十分と言う眼差しを明神に向けた。
「と言うことは、あなたは赤いブレスレットだけで私が犯人だと見たんですね?それだけでは不十分ではないですか、証拠として」
失礼を承知しながら彼女が言った。すると明神はポケットに手を突っ込み、なにかを手探りで探し出した。指輪だった。
「これ、貴女のですよね?」
今度こそは本当の動かぬ証拠だった。だがそれを気取られてはいけない。彼女はうそをついた。
「違います。似ていますが・・・」
すると明神が今度は指輪の中をみせた。そこには「Kohsuke loves Kyoko」と刻まれていた。
「もう一度聞きますがこれ、貴女のですよね?」
「知りません!コウスケなんて人!」
彼女は叫んだ。街路地にこだまの様に響いた。
「まだ白を切るつもりですか・・・。ではこの人はご存知ですよね?」
男の写真を出した。彼女は明らかに動揺した。彼女の元彼氏であった。
「知っているんですね・・・。これを見てください」
二枚目に明神が出した写真は二件目の殺人事件だった。まったく同じ男が写っていた。まったく違う状態で・・・。
「あなたが殺したんですよね・・・。いいかげん自供したらどうですか?私はあなたの味方ですよ」
“味方”・・・。この言葉に彼女は初めて明神を信用したらしい。
「はい、あの日、私は偶然あなたが住む路地を歩いていました。スーパーの帰りでした・・・」
こうして彼女は初めて語り始めた・・・