「おば幼女」という概念を設定します。
グーグルで調べても、特にこの言葉を使っている者もいないようなので、
私が開発者とします。
「幼児体型の、年上の女性」のことを、そう呼称します。

私の理想の女性像が、まさにそれです。
年下のガキなんかとしゃべっていても、こちらにはなんの益もない。
交際するなら年上。
(この場合の「年上」とは、時間的ないわゆる「年齢」に非ず。「自分より長じているものを持つ人」という意味とします)
そして体型が貧相であれば、それが私の好みです。
そのへんは、(発達するという)可能性に魅力を見るのか、コンプレックスに惚れるのか、私の内面の問題です。
なぜ生物としての本能に沿った好みでないのか、自分のことながら未だ不明なのです。
自分のことすら分からないのに、他人を分かったふりなどする気もありません。
「シンクロ」をうまく使って人の心の表層を覗いてきますと、なかにはそういう雑魚もいますが、
私はそうはなりたくない。
そういう輩の話は大抵、独善的でつまらなく、抽象的で自己中心的な自慢話に終始するもの。
まったく人としての深みというものがありません。

話がそれました。
「おば幼女」の話。
「幼形巨乳」という概念があります。ネオテニー好きな人のことですが、
それと同じく「おば幼女」も実在はしないでしょう。
しかしそれでよいのです。概念です。

真に価値のあるものは実在しない。

これはイデア論の、私自身による曲解です。

すべての価値あるものは、「真に価値あるもの」のほんの一部分を、分有しているのみである。

イデア論を人生の指針として生きていこう。