あなたが子供の頃からとらわれてきたであろう道徳
「人に迷惑をかけては駄目」
この道徳がどれだけ迷惑をかけてきたかは
計り知れないぐらいだ。
「善いことをしなさい」
この道徳がどれほどの悲劇を生んだかは
語り尽くせないぐらいだ。
逆に聞きたい。
あなたは人に迷惑をかけずに
生きていけるか?
善いことだけをして
育ってきたか?
自分を善人と思っている人は
単に自分を知らないだけだと思う。
善人から語られる正論は
聞くに堪えない。
自分に当てはめれば
もろくも崩れ去ってしまう。
もちろん私も迷惑をかけられれば
いい気はしないし
悪いことをされれば怒る。
でも悪を根本的に否定はしない。
悪を受容した上で怒る。
悪はあってはならないものではなく
悪はあるものだし必要でもある。
自分が正義だといって
あらゆる戦争が起きる。
相手の悪を根本的に否定する態度は
あらゆる争いの原因である。
私は善でもあるし悪でもある。
あなたも善でもあるし悪でもある。
心のどこかにこのことを置いておけば
全否定ということはなくなるだろう。
私たちは弱い存在だ。
時には悪にぶれる。
完璧からはほど遠い。
完璧になるのは無理だ。
だからこそお互いを受容していく必要があると思う。
お互いが協力して助け合わなくちゃいけない。
善人は善にとらわれている。
ジャッジしている。
あなたらしいというのは
よい面も悪い面を含めてであるはずなのに
調子のいいときだけ認めるのはジャッジである。
善というオリからでてみよう。
そこでやっと無限の可能性が広がる。
自分が自分らしくあることができる。
ちょっとぐらい迷惑をかけたって
悪いことをしたっていい。
もちろん相手はいい気はしない。
でも、それを受容してくれる人もいるかもしれない。
その人は迷惑をかけたことを
悪く思っているあなたの気持ちを知っているだろう。
人は自分だけがよくても
気持ちよくならないことを分かっている。
好きな相手にも
幸せになって欲しいと思っている。
しかし善のオリに入っていては
自分も相手も好きなことができないし
何が本当に好きなのかも分からない。
善も悪もそろって人間が完成する。
ありのままを認める。
悪を全否定していては
その人は半分しかみられない。
全否定された悪は
ゆがんだ形で大爆発する。
ありのままの人は
それほど善人でもなく
それほど悪人でもない。
悪の天才はほとんどいないだろう。
マザーテレサがいっぱいいないように。
お互いを受容した世界をみてみたい。
多分人殺しはなくならないけど
相当減ると思う。
そして戦争はなくなると思う。
甘い見通しだと思いますかね![]()
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善悪の基本を教えた上で
基本を破ることも教える。
そして、自分で判断することを学ぶ。
守 破 離
そういうのが必要だと思います。