彼女のマスターキー(レビューサイト) -14ページ目

彼女のマスターキー(レビューサイト)

ここでは、私が2010年クリスマスの失恋を乗り越え、
その後、たった3ヶ月で理想の彼女を作るまでに至るという(2011年3月)
最高の挽回劇を成し遂げるまで導いてくれた「奇跡の商材」である
【彼女のマスターキー(口説かずに女が落ちる究極の方法)】の紹介をしています。



スマイレージ・前田憂佳の卒業について思う
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スマイレージ・前田憂佳の卒業について思う
スマイレージの前田憂佳が、2011年の12月31日をもって、スマイレージおよびハロー!プロジェクトから卒業することが発表された。前田は芸能界を引退し、学業に専念する。

◆スマイレージ2010年の画像

とかく日本のアイドルシーンにおいて、その傑出したビジュアルとパフォーマンスに注目が集まりがちな前田憂佳だが、実際は、スマイレージというグループの中で、思慮深く、しっかりとした自分の考えを持ち、自分の考えと違うことについては、はっきりとした態度を取ることができる人。バランス感覚がよく、一歩引いた位置で自分自身、そして自分たちを客観的に見ることができる人。そして負けず嫌いで、不器用ながらも自分に厳しい一面を持ったストイックな人である。

また、インタビューすると、こちらの質問の意図を読み取り、期待以上の答えを返してくれる。わかりやすい具体例やたとえ話を持ち出して、自分の考えを的確に伝えることができる頭のよさを備えている。そして多分、おしゃべりをする自体、大好きな女の子だ(前回の「タチアガール」インタビュー終了後には、ダイエットに対する持論を熱く展開してくれたりもした)。

「2011年にやりたいこと…(しばし沈黙)…頭が良くなりたい! 本当に、自分で嫌になっちゃうんですけど、“やろう、やろう”って思っていても、やらないんですよ。やっても結構できないタイプで(笑)。ダンスや歌の覚えも遅いですし…そりゃ6年やってれば多少は覚えられるようにはなりましたけど(笑)。だから、やりたいことというか、“有言実行ができる人”になりたいです! ホント、切実なんです(笑)。」── 前田憂佳(BARKS「ショートカット」ミュージックビデオ撮影時インタビューより)

そして、前田憂佳というと、人一倍、謙虚だというイメージが強い。「私はばかだから」という意味合いの言葉も、これまで彼女の口からから幾度となく耳にした(今回の発表にも同じような発言が見られるが)。言うまでもなく、彼女は頭がいい。それは断言できる。ただ、本人の中ではそうではなく、もしかすると、コンプレックスにも似たようなものになっているのかもしれない。

誰にでもひとつやふたつはコンプレックスがある。そして人はコンプレックスに対して、大きく2通りの選択をとる。ひとつは見ないふりをしてやり過ごす方法。そしてもうひとつは立ち向かって克服しようとする方法。しっかりとした自分の考えを持ち、そしてストイックな一面を持つ前田に、前者の態度をとれというのは難しいことだろう。

学業と芸能活動。これらは両立できるという考え方もある。確かに両立している人も多い。しかし、これも前田の性格を考えれば選択肢にはなかったはずだ。両立とはいっても、学業を優先させれば、芸能活動に少なからず影響が出るし、芸能活動を優先させれば、少なからず学業に影響が出る。物事を客観的に見ることができる彼女は、これまで学業と芸能活動を両立させて、多くのファン、周りのスタッフ、学校や家族、近しい人たちに少なからず迷惑をかけてきたという事実を知っていた。そして何より、オフィシャルから発表された彼女のコメントにもあったとおり、どっちつかずの状態のままでいる自分自身を許せなかった。

「レコード大賞のあの場では、(私以外の)3人のことを“ほんとにすごいな”って思ってました。『最優秀新人賞を獲っちゃうなんて、この人たち、なんなんだよ』って。」── 前田憂佳(BARKS「有頂天LOVE」ミュージックビデオ撮影時インタビューより)

「おしゃべりが好きな、普通の女の子」。一方で前田は、もしかしたら自分のことをそんなふうにも感じていたのかもしれない。

高校2年生の夏から秋にかけてといえば、周りの友達がそろそろ受験へ向けて目標を定める季節。そんな中で、前田憂佳も、ひとりの普通の高校2年生の女の子として、自身の進路、将来について真剣に考えた。

「<怖いけど 自分で決めなきゃ / 私の進路だもん>っていう歌詞が好きです。中学の時とか進路相談ってあるじゃないですか。私、先生とすごく仲良くて、『私は前田にいろいろ言ってあげることはできるけど、最終的に決めるのは自分だからね。』って言われたのを、この歌詞を見て思い出しました。」── 前田憂佳(BARKS「タチアガール」ミュージックビデオ撮影時インタビューより)

誰のためでもない、自分にしかできない、自分の未来についての決断。

夢がなきゃ始まらないし、勇気がなきゃ出会いもない。自信に満ち、自慢したいような人生にするために、自分自身で下した決断。もちろんこの選択で、多くのファンを悲しませることになるのは、彼女自身が一番よくわかっている。また、我々が想像できないほどの悩み、苦しんだ期間も彼女にはあったはずだし、発表すること、そして今は発表したあとの恐怖を感じているかもしれない。それでも彼女は、ステージに立てば笑顔だったし、これからも笑顔を見せてくれるだろう。最後の最後まで、スマイレージとして、ひとりでも多くの人を笑顔にするために。

そんな彼女に、ファンとして、ひとりの人間として、どうするべきなのだろうか。

卒業を思いとどまるように願う。前田憂佳のファン、スマイレージのファンを辞める。最後の最後まで応援する。そっと見守る。いろんな反応があって当然だと思う。ただ、彼女は、決してスマイレージが嫌いになったわけでも、ハロー!プロジェクトとして活動することが嫌になったわけでもない。むしろ彼女は、かつて小川紗季や小数賀芙由香がそうであったように、スマイレージというグループやハロー!プロジェクトが変わらずに大好きだし、変わらずに大切な存在だと思っている。

大好きで、大切であるがゆえに、「いっぱいいっぱい、考えました。ばかだけど、ばかなりに精一杯考えました。」という前田憂佳が、自らに下した苦渋の選択。それが卒業だった。嫌いになったからじゃない。好きだからこそ、大好きだからこそ、自分の迷いや未来への想いで、スマイレージやハロー!プロジェクト全体に迷惑や影響を与えたくなかったのだ。

このことをひとりでも多くのファンが理解してくれることを今は切に願う。

そして残されることになる6人のスマイレージ。前田卒業における、彼女たちのショックや不安は、計り知れない。しかしそれでも彼女たちは、しっかりと前を向き、いかなる時も笑顔を絶やさない。

なぜなら、それがスマイレージだから。

同時に、新規加入した4人にとって、これは前田との約束でもある。正規メンバー決定の際、前田は4人への願いとして「スマイレージといえば笑顔なので、笑顔を絶やさないで。」と、語っていた。

2011年12月28日。前田憂佳、17歳の誕生日。この日、スマイレージは、メジャー8枚目のシングルにして前田のラストシングルとなる「プリーズ ミニスカ ポストウーマン!」をリリースする。今後の予定については明らかになってはいないが、おそらく、全国のファンと前田が直接触れ合える最後のチャンスは、同シングルのリリースイベントではないかと思われる。

まだ2ヶ月ある。しかし、もう2ヶ月しかない。

これまで、前田憂佳から多くの喜びや元気、希望、笑顔をもらった人たちは、最後、彼女にどんな想いを伝えるのだろう。そして、残されたスマイレージの6人、この1年の間に幾多の困難を経験し、本当に強くなったこの6人、本当は誰よりも大きな不安を抱え、泣き出したい気持ちを抑えて、笑顔で、ひたすら前を向いて歩いていくこの6人に、ファンはどんな意思表示をするのか。

公式発表にあったように、スマイレージはモーニング娘。と同じように加入と卒業を繰り返して進化していく。これから先、和田彩花、福田花音、竹内朱莉、勝田里奈、田村芽実、中西香菜は、出会いと別れを繰り返しながら日々戦って、ともに歩んでくれるファンとともに、スマイレージを守り続けるだろう。それはもちろん、スマイレージのグループ名に込められた願いでもある、ひとりでも多くの人を笑顔にするために。

そして、あの日、ともに手を取り合い、励まし合い、競い合い、笑顔で別れた仲間たちが、遠い未来において、かつて自分が愛してやまなかった場所について想いを馳せる時、

その時の、彼女たちの笑顔も守るために。

「落ち込んでちゃいられない / 速攻 私 立ちあGirl Oh Yeah! / こんなとこで負けなんて 認めない」── シングル「タチアガール」歌詞より

text by ytsuji a.k.a編集部(つ)



「この記事の著作権はBARKSに帰属します。」






スマイレージ・前田憂佳の卒業について思う
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スマイレージ・前田憂佳の卒業について思う
スマイレージの前田憂佳が、2011年の12月31日をもって、スマイレージおよびハロー!プロジェクトから卒業することが発表された。前田は芸能界を引退し、学業に専念する。

◆スマイレージ2010年の画像

とかく日本のアイドルシーンにおいて、その傑出したビジュアルとパフォーマンスに注目が集まりがちな前田憂佳だが、実際は、スマイレージというグループの中で、思慮深く、しっかりとした自分の考えを持ち、自分の考えと違うことについては、はっきりとした態度を取ることができる人。バランス感覚がよく、一歩引いた位置で自分自身、そして自分たちを客観的に見ることができる人。そして負けず嫌いで、不器用ながらも自分に厳しい一面を持ったストイックな人である。

また、インタビューすると、こちらの質問の意図を読み取り、期待以上の答えを返してくれる。わかりやすい具体例やたとえ話を持ち出して、自分の考えを的確に伝えることができる頭のよさを備えている。そして多分、おしゃべりをする自体、大好きな女の子だ(前回の「タチアガール」インタビュー終了後には、ダイエットに対する持論を熱く展開してくれたりもした)。

「2011年にやりたいこと…(しばし沈黙)…頭が良くなりたい! 本当に、自分で嫌になっちゃうんですけど、“やろう、やろう”って思っていても、やらないんですよ。やっても結構できないタイプで(笑)。ダンスや歌の覚えも遅いですし…そりゃ6年やってれば多少は覚えられるようにはなりましたけど(笑)。だから、やりたいことというか、“有言実行ができる人”になりたいです! ホント、切実なんです(笑)。」── 前田憂佳(BARKS「ショートカット」ミュージックビデオ撮影時インタビューより)

そして、前田憂佳というと、人一倍、謙虚だというイメージが強い。「私はばかだから」という意味合いの言葉も、これまで彼女の口からから幾度となく耳にした(今回の発表にも同じような発言が見られるが)。言うまでもなく、彼女は頭がいい。それは断言できる。ただ、本人の中ではそうではなく、もしかすると、コンプレックスにも似たようなものになっているのかもしれない。

誰にでもひとつやふたつはコンプレックスがある。そして人はコンプレックスに対して、大きく2通りの選択をとる。ひとつは見ないふりをしてやり過ごす方法。そしてもうひとつは立ち向かって克服しようとする方法。しっかりとした自分の考えを持ち、そしてストイックな一面を持つ前田に、前者の態度をとれというのは難しいことだろう。

学業と芸能活動。これらは両立できるという考え方もある。確かに両立している人も多い。しかし、これも前田の性格を考えれば選択肢にはなかったはずだ。両立とはいっても、学業を優先させれば、芸能活動に少なからず影響が出るし、芸能活動を優先させれば、少なからず学業に影響が出る。物事を客観的に見ることができる彼女は、これまで学業と芸能活動を両立させて、多くのファン、周りのスタッフ、学校や家族、近しい人たちに少なからず迷惑をかけてきたという事実を知っていた。そして何より、オフィシャルから発表された彼女のコメントにもあったとおり、どっちつかずの状態のままでいる自分自身を許せなかった。

「レコード大賞のあの場では、(私以外の)3人のことを“ほんとにすごいな”って思ってました。『最優秀新人賞を獲っちゃうなんて、この人たち、なんなんだよ』って。」── 前田憂佳(BARKS「有頂天LOVE」ミュージックビデオ撮影時インタビューより)

「おしゃべりが好きな、普通の女の子」。一方で前田は、もしかしたら自分のことをそんなふうにも感じていたのかもしれない。

高校2年生の夏から秋にかけてといえば、周りの友達がそろそろ受験へ向けて目標を定める季節。そんな中で、前田憂佳も、ひとりの普通の高校2年生の女の子として、自身の進路、将来について真剣に考えた。

「<怖いけど 自分で決めなきゃ / 私の進路だもん>っていう歌詞が好きです。中学の時とか進路相談ってあるじゃないですか。私、先生とすごく仲良くて、『私は前田にいろいろ言ってあげることはできるけど、最終的に決めるのは自分だからね。』って言われたのを、この歌詞を見て思い出しました。」── 前田憂佳(BARKS「タチアガール」ミュージックビデオ撮影時インタビューより)

誰のためでもない、自分にしかできない、自分の未来についての決断。

夢がなきゃ始まらないし、勇気がなきゃ出会いもない。自信に満ち、自慢したいような人生にするために、自分自身で下した決断。もちろんこの選択で、多くのファンを悲しませることになるのは、彼女自身が一番よくわかっている。また、我々が想像できないほどの悩み、苦しんだ期間も彼女にはあったはずだし、発表すること、そして今は発表したあとの恐怖を感じているかもしれない。それでも彼女は、ステージに立てば笑顔だったし、これからも笑顔を見せてくれるだろう。最後の最後まで、スマイレージとして、ひとりでも多くの人を笑顔にするために。

そんな彼女に、ファンとして、ひとりの人間として、どうするべきなのだろうか。

卒業を思いとどまるように願う。前田憂佳のファン、スマイレージのファンを辞める。最後の最後まで応援する。そっと見守る。いろんな反応があって当然だと思う。ただ、彼女は、決してスマイレージが嫌いになったわけでも、ハロー!プロジェクトとして活動することが嫌になったわけでもない。むしろ彼女は、かつて小川紗季や小数賀芙由香がそうであったように、スマイレージというグループやハロー!プロジェクトが変わらずに大好きだし、変わらずに大切な存在だと思っている。

大好きで、大切であるがゆえに、「いっぱいいっぱい、考えました。ばかだけど、ばかなりに精一杯考えました。」という前田憂佳が、自らに下した苦渋の選択。それが卒業だった。嫌いになったからじゃない。好きだからこそ、大好きだからこそ、自分の迷いや未来への想いで、スマイレージやハロー!プロジェクト全体に迷惑や影響を与えたくなかったのだ。

このことをひとりでも多くのファンが理解してくれることを今は切に願う。

そして残されることになる6人のスマイレージ。前田卒業における、彼女たちのショックや不安は、計り知れない。しかしそれでも彼女たちは、しっかりと前を向き、いかなる時も笑顔を絶やさない。

なぜなら、それがスマイレージだから。

同時に、新規加入した4人にとって、これは前田との約束でもある。正規メンバー決定の際、前田は4人への願いとして「スマイレージといえば笑顔なので、笑顔を絶やさないで。」と、語っていた。

2011年12月28日。前田憂佳、17歳の誕生日。この日、スマイレージは、メジャー8枚目のシングルにして前田のラストシングルとなる「プリーズ ミニスカ ポストウーマン!」をリリースする。今後の予定については明らかになってはいないが、おそらく、全国のファンと前田が直接触れ合える最後のチャンスは、同シングルのリリースイベントではないかと思われる。

まだ2ヶ月ある。しかし、もう2ヶ月しかない。

これまで、前田憂佳から多くの喜びや元気、希望、笑顔をもらった人たちは、最後、彼女にどんな想いを伝えるのだろう。そして、残されたスマイレージの6人、この1年の間に幾多の困難を経験し、本当に強くなったこの6人、本当は誰よりも大きな不安を抱え、泣き出したい気持ちを抑えて、笑顔で、ひたすら前を向いて歩いていくこの6人に、ファンはどんな意思表示をするのか。

公式発表にあったように、スマイレージはモーニング娘。と同じように加入と卒業を繰り返して進化していく。これから先、和田彩花、福田花音、竹内朱莉、勝田里奈、田村芽実、中西香菜は、出会いと別れを繰り返しながら日々戦って、ともに歩んでくれるファンとともに、スマイレージを守り続けるだろう。それはもちろん、スマイレージのグループ名に込められた願いでもある、ひとりでも多くの人を笑顔にするために。

そして、あの日、ともに手を取り合い、励まし合い、競い合い、笑顔で別れた仲間たちが、遠い未来において、かつて自分が愛してやまなかった場所について想いを馳せる時、

その時の、彼女たちの笑顔も守るために。

「落ち込んでちゃいられない / 速攻 私 立ちあGirl Oh Yeah! / こんなとこで負けなんて 認めない」── シングル「タチアガール」歌詞より

text by ytsuji a.k.a編集部(つ)



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被災地で復興寄席 ぺーさん、Tシャツ贈られ「紅白に着て出る」
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ピンクのTシャツをプレゼントされ、「紅白に呼ばれたら、これを来て出場する」と約束する林家ぺーさん=25日午後(記野 重公撮影)(写真:産経新聞)
 「落語会のおかみさん」として知られる海老名香葉子さん、林家ぺーさん、林家鉄平さんを講師役に「復興支援寄席」となった第11回「未来塾」(産経新聞社主催、TDK協賛)は2日目の25日、津波で大きな被害を受けた宮城県岩沼市と山元町に舞台を移した。3人は落語や歌を披露して被災者と交流。会場は笑い声にあふれ、楽しいひとときを過ごした。

 講師の3人は、岩沼市、山元町の被災現場を視察。住居の残骸やがれきの山に言葉を失い、「住民のみなさんは大変つらい思いをされた」と、黙祷した。

 このあと、岩沼市の総合福祉センター「i(アイ)あいプラザ」、山元町の坂元公民館を相次ぎ訪問。鉄平さんは、落語の冒頭、中国の故事「塞翁が馬」を引用し、「人生は何が幸せで、何が不幸なのかわからない。みなさんは今、どん底かもしれないけど、未来を信じて一歩一歩進んでいってください」とユーモアを交えて話すと、来場者はうなづき、さかんな拍手が起こった。

 香葉子さんは、夫の先代の三平師匠と仙台のお寺を訪れたときに、三平師匠が旅行客に「ここの駐車場は何台入るでしょう」と問いかけて、実際に数えて答える人たちに「答えは千台(仙台)」と笑わせた場面を小話にして再現、会場を沸かせた。

 また、東京大空襲で両親、兄弟を失い1人ぼっちになったが、両親と交わした会話の思い出を励みに耐えたと振り返り、来場者に「悲しい思いをされているでしょうが、残された命は大切に、一生懸命生きてください」呼びかけた。計約250人の来場者には中高年の女性が多かったことから「いざとなったら女は強い。みなさんが、がんばってください」と熱を込め、小学校時代に歌ったという唱歌「母の歌」を披露した。

 ぺーさんは、「SMAPやAKBと同世代です」などと笑わせ、仙台を舞台にした曲「青葉城恋歌」を来場者の中に入って合唱するなど、交流を楽しんだ。山元町で津波で家や衣服まで失った子供たちに、体育の授業などで使えるようにとTシャツをプレゼントしている岩佐孝子さんが、ぺーさんのためにシンボルカラーのピンクに染めたTシャツを「機会があれば、このシャツを着て支援の輪を広げてください」とプレゼント。表に「one town one heart」と書かれ、握手する二つの手がハート型にデザインされたシャツをぺーさんは気に入り、さっそく着替えて「大晦日の紅白歌合戦にお呼びがかかれば、これを着て出場する」と“約束”した。

 おかみさんの話に感動したという楠本民子さん(63)は「楽しそうに暮らしている人が、すごい苦労をされているとは知らなかった。歌を聴きながら泣いてしまいましたが、とても楽しい時間を過ごせました」。娘と2人で来場した伊藤智子さん(68)は「いろんなストレスで高齢の母につらくあてってしまうことがあるけれど、おかみさんの話を聞いているうちに、母にはもっとやさしく接しなければと反省しました」と話していた。


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