|
|
| 拡大写真 |
| 引退セレモニーで花束を手に号泣する石井(左から長男の悠太君、長女の里奈ちゃん) |
16年間の思い出が、走馬灯のように駆けめぐった。石井は、担当スカウトも務めた小川監督からボールを手渡され、10年前のリーグ優勝をともに経験した宮本からはロージンバッグを受け取った。「いろんなことが頭をよぎった」。1900日ぶりの1軍マウンドは、わずか5分間。137キロの直球で三振を奪うと、自然と涙があふれた。
長男・悠太くんが始球式を務め、スタンドでは家族が見守った。9回にサヨナラ打を放った福地は「ゴリ(石井の愛称)の引退試合だから、いい形で送ってあげようって、みんなで言っていた」。ファームの選手もスタンドから声援を送り、エースの館山や松岡、日高、同級生の藤本も涙を流していた。誰からも愛されていた証拠だ。
03年オフに、ポスティングシステム(入札制度)でのメジャー移籍を直訴。球団との度重なる交渉で、06年から夢舞台に立てるはずだったが、古田監督就任で球団方針が変わり、1年先延ばしに。06年オフでのポスティングを確約され、WBCでは力をアピールするはずだったが、予選ラウンドで左肩が悲鳴を上げた。
同年秋に手術を行ってからは、長いリハビリ生活が続いた。最速155キロをマークした豪快な腕の振りは戻らず、肩をかばって下半身なども故障した。「最後に神宮でもう一度投げたい」。左腕を支えたのは、強い気持ちだけだ。若手に交じって汗を流し、時にはアドバイスを送った。宮本が「上からも下からも慕われる」と評したのも、苦しんでいる姿を、ナインが見てきたからだ。
最後のボールは、千葉・東京学館高の先輩、相川が受けてくれた。「フリーエージェントで横浜から来てくれて、ずっとバッテリーを組みたかった。満足。何の悔いもない」。来季からは2軍の育成担当としてグラウンドに立つ。小川監督は「いろんな経験、財産を伝えてほしい」と期待を込めた。剛速球左腕の、第二の野球人生がスタートする。
◆石井の故障 06年3月の第1回WBCで日本代表入り。東京Dでの第1ラウンド。3月5日の韓国戦で1点リードの8回に登板。李承ヨプ(当時ロッテ)に右中間へ逆転2ランを浴び、2/3回2失点で降板した。第2ラウンド進出でチームとともに渡米したが、左肩の張りを訴えて緊急帰国した。シーズン11登板に終わり、オフに手術した。
◆石井 弘寿(いしい・ひろとし)1977年9月14日、千葉県生まれ、34歳。千葉・東京学館高から95年ドラフト4位でヤクルト入団。主に中継ぎとして活躍し、02年に最優秀中継ぎ投手。同年には、現在でも日本球界の左腕史上最速の155キロを計測。04年アテネ五輪、06年WBC日本代表にも選ばれたが、3月の韓国戦で左肩痛を発症。同年秋に手術を受け、以来1軍登板はなし。180センチ、100キロ。左投左打。家族は妻と1男2女。通算16年で339登板し、27勝15敗55セーブ。防御率2.66。
「この記事の著作権はスポーツ報知に帰属します。」