みんな結局自分だけなんだよ | masterik - 新しい朝が来た!(仮)

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ブログの再会。

と、いうか再出発。

タイトルはまだ考えついてないから、思いつき?!

時間が経つのが早すぎていつのまにか今になっていたwww

JALの巡る問題に関して。

JALそのもの経営問題に関しては意思決定の現場にいるものの問題になってくるので、ここではこの問題をもう少し一般化してみてみる。

大きな伝統ある企業が経営の危機に陥ったときに問題になるのが、いわゆるレガシーコストと呼ばれる退職したOBの年金や医療の問題であったりする。
この問題に取り組むにはOBの代表者と話しあい、減額を申し出て了承してもらうことである。

で、ぼくがここで気になったのが彼らの行動がこの国の政治的意思決定と同じように思えたのだ。

当初、OBに対して年金の30%減額を現経営者はお願いしてきたが、OBは一向に認めることはなかった。現役職員は会社がつぶれることより給料が半額になることを早々に選択して前に進むことを考えていた。

ところがである、法律による経営破綻が決定するその瞬間にOBは手のひらを返したように了承したのである。もちろん、中にはこれだけ国民と現役職員に対して迷惑をかけるのはよくないから、以前からその旨を了承してきた人も多からずいる。だが、全体の多数決という結果からはそれを許してこなかったわけだ。全部なくなるよりは、ましな方法を選ぶといった具合だ。

現役職員の多くは空輸産業に関わっているわけだが、彼らは非常に技術に特化して職分を担っているわけであるが、その特異性ゆえにほかへの技術の転用がなかなか難しいのが現状である。また、日本人の場合は、仕事が即人格そのものになっているような者も多いので、例えばパイロットや機体整備士、管制官がほかの職業に就く場合の心理的障壁はものすごく高いと思われる。だからこそ、生活手段の防衛のみならず、自分のアイデンティティ保護のためには、給料の多少なんてことは言ってられないと思う。

一方、OBの対応というのは、自分の取り分のみ関心が向かないのではないかというところを感じた。会社のため、国のため、後輩のことを思うのであれば、このような結果に陥らなかっただろうと思ってしまう。ナショナル・フラッグとして位置付けから、各種行政の後押しを受け、給与水準が平均よりもかなり高い人たちなので、老後における年金の額も多くの人たちよりも多く、減額されたことで生活に困らない程度には、蓄財と年金により賄うことができるはずである。ゆえに会社を救おうと思えば、自分を犠牲にしても問題がなかったはずだ。なのに、それができなかった。

このことを考えながら、国全体のことも同じだなと思わざるを得ない。人数の上で明らかに高齢層が多い人口構成の中で、現役世代の意見が通るなんてことは正直難しい。と、いって高齢層が現役世代に考慮して投票することは期待しないほうがいい。

この状況により、状況を打破するのであれば投票における世代間の重みを現役世代を重くして、もう少し活気がでる意見形成をできないとかと思う。