朝、犬の散歩で車と庭木の間をすり抜けるとローズマリーの香りがした。
先日、車のタイヤを変えたときもちょうど前輪がいばらで後輪がローズマリーのある場所に停めてしまってちょっと苦労したのを思い出した。
葉っぱの表面をたくさん精油が覆っていて、木に触れると衣服に付着し、まわりの空気にも拡がるとウッディな甘い香りが漂う。
普通の家庭のガーデニングでは限られた数しか植えないだろうから気にするほどでないけれど、たくさんの木にふれると粘着質の油で体中がその香りでいっぱいになる。
ローズマリーの香りは刺激が強いので好き嫌いがはっきりしているけれど、
ぼくはその香りが充満している場所がすきだったりする。
ローズマリー・・・
誰がこの名前をつけたのだろうか?
それが何かを知らないときに、キレイなひびきだなと思った。
そして、なんなのかわかったときにその名前のイメージがガラリと変わった。
と、同時にローズマリーという人の名前のイメージが変わったことで、ローズマリーという名前がつけられる人物のイメージも変わった。
ここで思ったのはただ単に記号としての言葉で覚えている分には自分の想像の延長線上なので印象が薄いけれども、それがなんなのかわかるときに自分の中の心が反応して大きな変化を見せる。
そして、また自分はかわったんだなと思う。
なんていうか、これを知るとヤバいといったような感覚かな。
知ってしまったから、以前とは違うってことになる。
そこが気持ちいいのか、怖いのかが分かれ目になることがあるが、
自分としては何でも知っとけってことで好奇心はたくさんあるので知ることが好きだって思ってしまう。
変わらなきゃも変わらなきゃってフレーズがあったけれど、これがまさしくそれで変わらなきゃの思いが固定されているうちは何も変わらないで、変わらなきゃって思いが消えたときに変わる勇気を受け入れる自分がいる。
いつでも自分でいたいなら、いろいろなことを知る怖さを自覚して受け入れることが大事なんだね。