





敷地に足を踏み込むと、よくある学校の風景だった。
しかし、塀の上には錆びた有刺鉄線がループ状に張られており、かつては刑務所だったことが窺える。
案内に沿って歩き、最初の建物に入る。1階は拷問部屋だった。
むき出しの鉄のベッドが各部屋にあり、当時のまま置いてある。ベトナム軍がここに突入した時に拷問されていた人の写真が各部屋に展示してある。白黒だがどれも強烈だ。
二階に行く階段は鉄の扉で閉まっていた。次の建物に入る。
そこには、ここで殺された人たちの写真が展示してある。顔には表情がない。
含み笑いをしている写真や目を逸らしてるいる写真もある、精一杯の抵抗だろう。
部屋を移ると顔に大きく×が書いてあるポルポトの像があり、拷問道具がケースの中に並んでいた。
次の建物に移る。ここは独房の建物だ。自殺しないようにこの建物には有刺鉄線が一面に張られている。1階はレンガで仕切ってあるだけの独房で、2階は木で出来た独房で扉があり、その扉には小窓が付いている。2階は昼だというのに陰湿な暗さがあり、扉の小窓からこちらを見られてる感じがしたし、扉が開いている部屋を覗けば透明な人が蹲っているような感じがした。
霊感の全くない自分にもこの2階だけは長く居られなかった。そしてここでの写真は怖かったから撮らなかった。この建物だけ3階に行けたが何もなかった。
次の建物に移る。ここは当時のキリリングフィールドの写真や収容された人々の写真、その写真を撮る時に使った椅子、拷問道具、拷問している様子が描かれている絵、そして、髑髏の部屋がある。
家畜のように棒にぶら下がった囚人の絵、赤ん坊を放り投げ銃で撃ってる絵と母親から赤ん坊を引き離し木に打ちつける絵がある。ひどい絵だ。
ここから生きて出られたのはたったの4人。最後の部屋で手を合わせトゥールスレンを後にした。
無茶苦茶な政策で、ポルポトに反抗する知識人達は容赦なく拷問にかけ殺し、内部でもスパイの疑いがある奴は拷問にかけた。犠牲になった人の数は300万人にも及ぶという。300万人も虐殺したポルポトはつい最近(5年ぐらい前)まで生きていた。死因は確か心筋梗塞かなんかだと思ったが、とにかく罪を問われ処刑された訳でもなく、遺族や関係者に殺された訳でもない普通に死んでしまったのだ。普通に。