今夜、家内との話題。

運命について。

いまの運命は、過去にどう選択したとはいえ、いまの運命になる、とは家内のインスピレーションから。


家内は3年半前に直腸がんが分かった。

術後4日目で縫合不全になって死にかけた。

いまも排便コントロールは試行錯誤。


家内は、過去に別の選択をしたとしても、こうなるべく定められたのでは、と言う。

もし5年前に痔を診察してもらったクリニックで大腸内視鏡検査をやっていたら、と考えることもあるが、検査したところで既に内視鏡手術レベルではなかったのでは、とも。

そうだとすると、何を努力しても行き着く先は決まっているとして、ジタバタしても仕方ないとなる。


ここをどう捉えるか。

この先はなんかよくわからないけど、決まっているなら自分の好きにしよう、との考えもある。

家内の理屈では、そう考えて行動するのも決められていることになる。


余命宣告だってそう。

父のように末期がんで余命1年といきなり宣告されても、心不全のため10ヶ月で突然亡くなることもある。

そうかといえば、杉浦さんのように乗り越えた方も、神尾さんのような方もいる。





医者や他人は運命を決められない。

運命は「命」を運ぶと書く。

もし運ぶ先が決まっていたとしても、運び方は個人の自由。


結局、いまこうして一瞬一瞬を大切に、自分が満足した時間の使い方をするのが、有意義な生き方と言えるのでは、と思う。

たとえ運命が、創造主なのか宇宙の意思なのかが決めていたとしても。

いまの過ごし方は、こちらの自由。


最近、あるきっかけで超久しぶりに船井幸雄氏の本を読んでいる。

彼は「この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる」と言っていた。

これも、いま非常につらい立場におられる方からは、理解しがたいと感じる。




ただ言えるのは、時間が過ぎていくにしたがい、状況は必ず変化する。

そうなると過ぎ去った過去の意味も変化する。

過去の意味はいまの現在が決めることになる。


長くなりました。


早い話、運命に対していろいろこじつけても、いまは変わらない。

変わりたいなら、自分ができる範囲で変わるよう行動するしかない。

それが、定められた運命だとしても。


今日のハビングは中止。


今日も一日ありがとうございました。


すべてに感謝。