「みえる」といっても、漢字ではいろんな表現がある。
目で「見える」が通常だが、存在を確認することとして「視える」とう漢字もある。
昨日の天気とはうって変わっての好天気。
太陽の光も初夏が近づいているような強さになってきた。
午前、久しぶりに家内の歩く気功に同行した。
家内は今月に入って少しずつリハビリとして歩く気功を開始した。
最初は数分レベルで終わったが、今日は15分を2セット実施した。
場所は近くの公園。
私も2か月ぶりに同行した。
気功の前には事前準備があり、公園の清々しい木々の香りを受けて深呼吸をする。
桜はもうないと思ったが、一部のところでは僅かながら花びらがあり、地面には大量の花びらが落ちて少しの風で舞っていた。
家内曰く、入院前の2月で見た公園の風景と今の風景では、捉え方が異なると言う。
季節の違いはあるものの、外の世界としては大きな変化はない。
自分の内面が変化したからであろう。
これまで「見て」いたが「視える」ことはなかったのだ。
新しい世界は、自分次第で視えてくるのだろう。
昨日から今日にかけて、筑波大学名誉教授の村上和雄先生が亡くなった情報が入ってきた。
昔「生命の暗号」という本で遺伝子のスイッチオン・オフに関して書かれていたことを思い出す。
追悼企画として本日まで視聴できる有意義な映像があるので、時間がある方はご覧になるとよい。
これからの人生に必ず役に立つと思う。
(と紹介しながら、まだ半分しか観ていない。→夜に最後まで拝見しました)
新しい世界を切り拓いていただいた感謝とともにお悔やみ申し上げます。
帰りに駅近くで路上ライブの音が聴こえた。
静かな、そして何となく懐かしいような曲調。
「コンドルは飛んでいく」
家内との新婚旅行でドイツを訪問した際、ローテンブルクあたりで聴いたのを思い出す。
歌詞はこれまで気にしなかった。
気になる方はサイモン&ガーファンクルのバージョンで確認して欲しい。
最後の詩にあるように、もっと大地を感じるようにしたい。
そうすれば、きっと視えない力を受けるはず。


