昨晩、術後の家内の様態は急変した。

それまで痛みは抑えられていたのが急に痛み出し、つらいメッセージが何度か届いた。



ナースコールしてもすぐ来ない。



来て痛み止めを処方してもらっても、しばらくすると効かない。

連続投与はできず、2時間以上苦しんだようだった。



私も夕食の準備はせず、祈るなどして家内からの連絡を待った。

その間、英国ブライトンの学校でお世話になった英国人先生(女性)にも状況を伝える。



She is bearing a pain.


で、始めた。


痛みに耐える表現として適切かどうかわからないが、その後も英文で伝えた。



彼女には、先週手術中の時間を利用し、家内ががんになった状況を伝えていたが、また週末に連絡するとしていたので、家内からメッセージが届くまで対応していた。

英文作成はやはり時間かかるので。



4年前に母が脳梗塞で倒れたとき、そして亡くなったとき、昨年父が末期胃がんになったとき、そして亡くなったとき、これらを伝えていたので、彼女からは滲み出るほどの気持ちが伝わるメッセージをいただいた。



言語に関係なく、言葉は人の気持ちを伝えてくれる。



まだ痛みはある中、メッセージをもらったので昨夜はその後あまりやりとりせずに終わった。



今朝は私の方が早く起き、家内からメッセージが来るまでは心配した。

しばらくしてメッセージが来て安堵した。



また汚れていた寝巻きも変えてもらったとのこと。

昨夜は本当に辛かった、とのメッセージだった。



かいつまむと、昨日歩くことが災いして、腸に負担がかかったようだ。

でも、おしりから管が取れたとあり、進歩した。

かなりスッキリしたようだ。



同じ経験にならないと実感は当然できないが、すごく解放された気持ちだろう。



しかし、無理は禁物。

そこは家内も弁(わきま)えていた。


これで落ち着いたと思いきや、また激痛が走ったと連絡があった。

しかも、昨夜よりも酷いと。


これ以上メールも難しい、とあり、ここでこちらからはメールはやめた。



電話で会話ができない。

またコロナで面会すらできない。



いまはお互い試練として受け止めるしかない。

家内の試練はあまりにも厳しいものだが…



家内が好きな来生たかお。

一緒にコンサートに行ったのは、かれこれ6年以上前か。

Goodbye Day より。



少しだけ 疲れた顔で
君は静かに 眠ってる
スタンドの 淡い光
そっと睫毛の 影が出来る
昔より 愛が足りない
君はぼんやり 呟いた
費した 君との月日
惜しみはしない 僕がいる
Goodbye day 今日が終り
One more day また一日
何ごともなく それでいい Oh
Goodbye day ケリをつけて
One more day また一日
新しい日に すればいい



少しではなく、かなり疲れた顔になっているだろう。

今日を終えて、明日を新しい日にしよう。



Goodbye Day