父 | kantoku's ブログ

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バスケと子供たちを愛する人たちへ

昨年、12月22日、敬愛する父が他界した。


母が亡くなってから僅か1年10ヶ月、こんなにも早く後を追うなんて・・・
ロクに親孝行も出来ない本当にダメな息子だったと後悔の念に駆られる。
こんなことならもっと傍に居れば良かった・・・

悔やんでも、もう父は居ない。

父が地元でお世話になってるシニアクラブの友人から突然電話があったのは、
福岡市大会前日の11月1日。「お父様が少し体調がお悪いようですよ。」
僕はすぐに父を迎えに行き、病院の検査に向かった。

そこで衝撃的な事実を聞かされる。
病名は「悪性リンパ腫」。すぐに国立病院を紹介され、精密検査を行うことに。
そこで更に最悪の診断を受ける。最も悪性度の高いタイプだというのだ。


治療して一時的に凌いでも再発の可能性が高く、80歳の身体に厳しい治療が
耐えられるかどうか。
辛い決断だったが、父の兄弟とも相談の上で、緩和ケアを行うこととなった。

母が亡くなって実家に一人暮らしとなった父を、何度となく家を出るように
説得したのだが、決して首を縦に振らなかった。
「ここを捨てることになったら俺は終わりだ。誰が仏壇(母と妹)を守るんだ。」
と言って。

母が最後に僕に言い残した言葉は「お父さんのことをお願いね・・・」だった。
無理にでも一緒に居れば、もう少し早く病気に気付いたかもしれないと思うと
母にも申し訳ない。

僕に出来ることは、残り僅かな時間を少しでも一緒に過ごすこと。
忘れられないのは、国立病院の精密検査の結果が出るまでの約10日間を
僕の自宅で父と一緒に過ごせたこと。

毎日一緒に風呂に入り、身体を洗ってやれたこと。
「こんなにしてもらったら罰が当りそうだ。」と嬉しそうに言った父。
体育館にも連れて行って、バスケの練習も観てもらった。
「この子たちは中学生?」、「いや親父、みんな小学生だよ!」と言うと、
ビックリしたように「上手いなぁ!」と言ってくれたこと。

そして一番良かったと思うのは、103歳で未だ健在の祖母、そう父の母に会いに
一緒に長崎に行けたこと。
祖母の顔を見た瞬間、何も言わずしばらく泣いていた父。

それから僅か40日、父は帰らぬ人となった。

亡くなる1日前、ギリギリで東京から戻った長女が、父の手を握り「お爺ちゃん、
彩だよ!帰って来たよ。わかる?」という声に、もう意識はないはずなのに
涙を流す父の姿を見て、全員で涙した。

最後は僕と息子で両手を握って見守る中、静かに息を引き取った。



父は、母が亡くなってから1年10ヶ月の暮らしの中で、一度も自分から手助けを
頼んで来たことはない。
入院してからも一度だって「痛い」、「辛い」、「苦しい」と言わなかった。

口にする言葉はすべて「感謝」の言葉。
「ありがとう」、「助かるよ」、「お前たちが居てくれて良かった」
なぜこんなに謙虚で忍耐強く居れるんだろう・・・

「居てくれて良かったのは親父、俺の方だよ!」
「感謝しても、し尽くせないくらいだ。」
「親父の息子で本当に良かった・・・」

最後に僕が父に掛けた言葉です。


僕も、親父のように強く、優しい人間になりたい。

親父の意志を継いで、しっかり生きていきます。



暮れ押し迫って忙しい中、ご弔問、ご会葬頂いた皆さん、そしてお花や弔電を
頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

また元気出して仕事にバスケに頑張ります。

これからもよろしくお願い致します。