もう1つの卒団式 | kantoku's ブログ

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バスケと子供たちを愛する人たちへ

僕は、15年の監督キャリアの中で1年だけ自分自身が後悔を残したと今も思う年があります。


それは今から9年前、今21歳になった子たちの代のことでした。

北九州市で独立して、4年の歳月を仕事とミニバスと共に過ごした僕は、徐々に仕事の拠点が本来の地元である福岡市へと移り、ついに殆どの仕事をそこでするようになっていました。


練習に顔を出せる日が日一日と減り、子供たちや保護者に対して申し訳ないという気持ちが募っていきました。

普段の練習を十分に見ていないのに、試合で叱咤することに疑問が湧き、いつしか本気で怒鳴れないようにまでなっていました。


そんな中途半端な自分を監督にしておくことがを自分自身許せなくなり、これ以上は続けてはいけないと考え、監督の座をコーチに譲りチームを離れる決心をしました。


そう保護者に告げた時、殆どの保護者から、「監督に居てもらわないと困る」「練習に来れる日は週1日でもいい、チームを離れないで」と、本当に温かい言葉を数多くもらいました。


でも現状が許せない僕の決心は固く、半ば強引にチームを離れたのです。

それは6月半ばのことでした。


創部2年目から3年連続県大会出場、前年は県大会決勝まで進出し負けはしたものの九州大会にも出場しました。この代も春のリーグ戦で、北九州市で準優勝、しかもわずか1点です。


上位3位までが県大会の出場権を得れる中において、4年連続が確実と思われるほど、その代もスタートから上位を走っていました。

ところが、秋の大会で3位に1点差で敗れ4位となり、県大会の切符を逃したのです。


誰のせいでもありません。期の途中で監督が変わり新体制となりチームが軌道に乗るのに時間が必要だっただけです。

それでも、その敗北はきっときっと悔しかったに違いありません。

1年の途中でトップが交代するなんてことがあったからだと、きっと僕のことを責めているだろうと思っていました。


いつしか連絡も途絶えたころ、こっちではある保護者の皆さんが発起人となり「百道浜シューティングスターズ」(今の百道シューティングスターズの前身)が立ちあがろうとしていました。


そんな3月も押し迫ったころ、辞めたチームの1人のお母さんから突然電話があったのです。

「子供たちが監督と卒団式をしたいと言っているのです」と。

土本監督と卒団式をしなければ終わった気持ちになれないというのです。


自分のせいで辛い思いをさせてしまったとずっと思ってきた人たちからの思いがけない言葉でした。

既に自チームでの卒団式は終え、僕のためだけに卒団生全員と保護者が福岡に来てくれて、卒団式を開いてくれたのです。


その中で、1人1人が自分の思いを手紙に書いて読んでくれました。

「結果に悔いはない、でも監督と最後まで戦えなかったことが心残りです」

「監督と一緒にバスケがしたかった」、「監督が辞めて悲しかった・・・」

皆が泣きながら手紙を読むのです。


一緒になって僕も泣きました。涙が止まりませんでした。

感動と後悔の涙です。


この感動と後悔が僕に教えてくれました。

どんなことがあっても決して途中で投げ出してはいけないんだと。



不思議なんです。


今もその代の子達と保護者からが一番連絡が多いのです。