先日、NHKスペシャルで「リーマン予想」についての放映があった。
録画したかったが、妻が同時刻にドラマを録画していたので、
リアルタイムに見るしかなかったが、録画できなかったのが惜しい。

リーマン予想なるものがあることは知っていたし、
式自体は見たことはあるが、それがどういう事なのか、
ということは不勉強でしらなかった。
NHKスペシャルを見たあと、
月刊誌「数学セミナー」の特集号で復習するが、
やはり学生時代の不勉強がたたり、
スッと頭に入ってこない。

でも、それでいいのかもしれない。

とりあえず、NHKスペシャルの内容を鵜呑みにして、
その「リーマン予想」の周辺について考えてみる。

TVの中で、
リーマン予想で人生を棒に振った人々の節があった。
1人というか2人というか、
1つ目の例はハーディー&リトルウッドだった。
そして二人目が、ジョン・ナッシュ。
映画「ビーティフルマインド」のモデルとなった、
ノーベル経済学賞を受賞した数学者。
映画は観た。
そうか、あの場面がそうだったのか。
そういえば、あの場面は良く覚えている。
ナッシュ教授が精神的に破綻を起こしたのは、
リーマン予想を証明しようとしたことなのか。

数学にはまると、
昼夜を忘れて、数学の問題解決に取り組んでしまうことがある。
私の場合は、高校時代の、
大学入試問題レベル(しかも初級)ぐらいであるが、
それでもそうなって、解けたときの喜びはひとしおである。
また、以前、やはり数学セミナーであったか、
「寝ても起きても、数学のことを考え、
 いつも数式が頭をグルグル回っているようになって、
 はじめて数学者の入り口に立ったことになる。」
みたいなコラムを読んだことがある。

私はそこまではなったことがないので、
やはり数学者ではない。

が、以前担任していた生徒で、
とてもよく数学に取り組んでいた子が2人いた。
中3から高1にかけて、
その取り組みが実を結び、
ドンドンとカリキュラム以外の数学を学びはじめるのだが、
そのころから、ちょっと人間としてどうか、
ちょっと常識に欠ける言動が目立つようになった。
とくに一方の生徒は元々、人見知りで、
また運動もまったく苦手だったので、
クラスにはあまり居場所がないようであったが、
数学で自信をつけ、それも心配がなくなった矢先・・・。
もうこの話は止めよう。
いろいろと紆余曲折はあったが、
無事有名大学に入り、こちらの責任はなくなった。
一方の子は、無事就職も決まったという。

数学にはまりだして、
人格的に問題が出る生徒が他にもいないことはない。
やはり成長期に、
十分な運動や睡眠をしないで数学ばかりしていると、
健康を損ねるようだ。

話は変わって。
足立氏の「アホでも数学者になれる法」という本を、
ゆっくりと読み進めている。
偶然、街の本屋で見つけて、購入した。

しかし、である。
面白いのであるが、ずっと読んでいると、
気が滅入る。
参考になることもあるが、
「オイオイ、大丈夫か。考えすぎではないか。」
と思う部分がある。
だから、もう1年近く立つが、まだ読了していない。
ゆっくりと読んでいる。
でもやはり、この人も精神を患って、2~3年、
仕事ができなかったようだ。

数学を勉強すると、精神に破綻を来すのか?

たしか、藤原氏の「若き数学者のアメリカ」という本でも、
藤原氏は留学中の冬のアメリカの街で鬱になった、と思う。
(藤原氏は、私の勘違いでなければ、
 ベストセラーとなった新書「国家の品格」を書いた人物。)
その後彼は、常夏のフロリダに行って、
また人格的に正常になる、と記憶している。

また別の話。
以前、高校生向けの「数学の学びの薦め」みたいな冊子に、
「大学受験の数学は、
 大学で学ぶ現代数学に比べたら、ほんと小さなものだ。
 現代数学が『海』なら、受験数学は『水たまり』だ。
 水たまりでは勉強している君たちに失礼だから、
 『プール』といった方がいいだろう。
 そう、君たちは今、
 その小さな数学のプールをいかに速く真っ直ぐ泳ぐか、
 ということを勉強しているのだ。」
と書いてあった、と思う。
確かに水たまりは言い過ぎだ。
プール、そうねえ。
プールを速く泳ぐように、っていうのはいい例えかも。
そして、大学の数学を海に例えることも。

夜の海は怖い。
ロマンチックなドラマに、
夜の砂浜を恋人同士が歩く場面なんてあるから、
昔、友人達と夜の砂浜にドライブに行ったことがある。
途中、暴走族に飲み込まれそうになったが、
難なく逃れ、やっとたどり着いた海。
ずっと波を見ていると、怖かった。
寒かったし。
以前、船旅もしたが、
夜の外海を船がゆくの甲板から見ていると、
無限に広がる闇のなかの波の音は、
ロマンチックというより、怖い。

私は、けっこうカンのいい方だと思っている。
もしかして、
真面目な私が、途中で数学を投げ出しそうになり、
その後、適当に勉強し、現在に至るのは、
数学に真摯に取り組むことを避けたかった、
心の表れかもしれない。
「あまり、その領域に踏み込まないほうがいいぞ。」

大学時代、とくに1~2年時、
私は確かに不安定だった。
それは数学のせいではない、
とこれまでは思っていたが、
有る意味、
「数学科に進んだことが間違い」と思っていたこともあることはある。

すいません、話がわけがわからなくなってきた。

話は戻って。
でも、数学の問題が解けることは楽しい。
私が一生懸命数学を教えることで、
解ける問題が増える、解ける生徒が増えることは、
悪いことではないし、むしろとても良いことである。
ただ、もしもそれで、
「僕は数学を究めたい。」
と生徒が言い出したら、・・・。

僕は「止めておけ」と言うだろうか?

数学を究めるということは、
NHKスペシャルによれば、
「神の領域をのぞくこと。」
らしい。

神は、どんな気持ちで数学者や物理学者を見ているのだろう。
もし自然の摂理を解明しようとする人物が現れたら、
「やめなさい」
とでもいうように、その人の心の一部を奪っていくのか。
そう考えると、数学を学ぶことは恐ろしいことかも知れない。

でも、神っているの?
でもいないなら、だれが宇宙を創造したのか。

それでは、今日はこの辺で。
この話題も、今日限り。