毎年毎年、この秋が深まる時期になると、
勉強が俄然したくなってくる。
これまでも、数学の目新しい分野や数学史の書籍を、
買いあさったことがある。
英語版の本をわざわざ発注して購入したことも。
それらは結局、日常の仕事に忙殺されて、
読破されないまま、積み読状態に。

今年もその時期が来た。
でも今年のテンションの違いは「謙虚さ」である。

例年は、
「さあ、大学の研究室に戻るぞ。」
「あの本の訳本はまだないだろう。
 あの仕事(和訳)を完成させ、
 訳書をもって、大学に帰るぞ。」
とか、
「何、最近はこういう計算機言語が話題か。
 じゃあ、マスターしてみよう。」
とか、壮大なことを考えたりしている。

今年の謙虚さは、
「大学入学時に胸に抱いていたけど、
 結局、怠惰な現実におぼれ、
 果たせなかった目標を実現しよう。」
というところから来ている、たぶん。
それから、
「大学にいまさら戻ってどうなるのよ。」
という諦めもある。
また、
「また課題に追われるのが嫌だ。
 学歴は十分だ。学費ももうない。
 意志さえあれば、本当の勉強は在野でもできる。」
という気持ちも強くなってきた。

私が数学科を志したのは、
「自然の法則を記述する微分方程式を見つけること。」

どんな辛いことがあっても、
朝になればまた太陽は昇る。
冬がくれば、春は遠くない。
太陽の光に、身も心も解けるような昼下がり。
数学の発展の歴史に比べれば、
私の生涯なんて微々たるもの。
新発見や先取権なんて、どんな意味があるのか。

志があれば、いつだって、どこだって勉強は出来る。
「きっと自然は美しい数式で記述されているにちがいない。」
ああ、時間が欲しい。

ずっとそのことだけを勉強する時間が欲しい。