昨夜、妻と子どもたちは地域コミュニティの主催する、
「星空観測会」に出かけてきたらしい。
妻が興奮気味に、
望遠鏡から見えた、
木星の4つの衛星や双子の恒星のことを話した。
昔、ガリレオやニュートンなどの学者が、
星空を見上げて、
キリスト教的世界観から、
現在の科学的世界観を構築した。
そのことを簡単に話すと、
「ふ~ん」と妻は言った。
数式が、自然のすべての運動を記述するかもしれない。
高3になって理系を選択し、
数学で「微分・積分」、理科で「物理」を学び出すと、
それまで見えていた世界が違うものに見えてきた。
また、
それまで学んできた「ベクトル」っていったい何?
って思いだしてきた。
「いったいこの世界はどう記述されるのか?」
それが、高3の夏休み前の、私の進学の動機だった。
時が流れる。
現実に対応して行かねばならないので、
私は、自分の学びたいことの半分も成就せずに、
現在に至っている。
しかし、何も学ばなかったのではない、
というのは先日書いたとおりである。
ただ、繰り返しになるが、
20年前の思いはまだ叶えられずにいる。
先日、校内で「数理物理入門」なる本を見つけた。
パラパラとめくると、
十数年前、関心を持ったことが書いてある。
しかし、これは私の求めるものではない。
「物理現象が数学的にどういう式で表せられるか」
ではないのだ、と思った。
私は、いや私も、
数学科を卒業し、数学の教師となって、
だんだんと数学が理解できてきた。
そして私が求めるものも、
いまははっきりとわかりはじめてきた。
学問の秋。
季節が学びに向く時期になってきた。
現実はとても忙しいが、
あらためて自分の勉強をはじめようと思う。
手始めに聖書「解析概論」でも読もうかと思ったが、
私はあの、歴史的仮名遣いというのが不得手である。
となると。
ということで、解析概論の現代版を読みはじめようと思う。
理を求めて。
細々と息長く、はじめたい。
「星空観測会」に出かけてきたらしい。
妻が興奮気味に、
望遠鏡から見えた、
木星の4つの衛星や双子の恒星のことを話した。
昔、ガリレオやニュートンなどの学者が、
星空を見上げて、
キリスト教的世界観から、
現在の科学的世界観を構築した。
そのことを簡単に話すと、
「ふ~ん」と妻は言った。
数式が、自然のすべての運動を記述するかもしれない。
高3になって理系を選択し、
数学で「微分・積分」、理科で「物理」を学び出すと、
それまで見えていた世界が違うものに見えてきた。
また、
それまで学んできた「ベクトル」っていったい何?
って思いだしてきた。
「いったいこの世界はどう記述されるのか?」
それが、高3の夏休み前の、私の進学の動機だった。
時が流れる。
現実に対応して行かねばならないので、
私は、自分の学びたいことの半分も成就せずに、
現在に至っている。
しかし、何も学ばなかったのではない、
というのは先日書いたとおりである。
ただ、繰り返しになるが、
20年前の思いはまだ叶えられずにいる。
先日、校内で「数理物理入門」なる本を見つけた。
パラパラとめくると、
十数年前、関心を持ったことが書いてある。
しかし、これは私の求めるものではない。
「物理現象が数学的にどういう式で表せられるか」
ではないのだ、と思った。
私は、いや私も、
数学科を卒業し、数学の教師となって、
だんだんと数学が理解できてきた。
そして私が求めるものも、
いまははっきりとわかりはじめてきた。
学問の秋。
季節が学びに向く時期になってきた。
現実はとても忙しいが、
あらためて自分の勉強をはじめようと思う。
手始めに聖書「解析概論」でも読もうかと思ったが、
私はあの、歴史的仮名遣いというのが不得手である。
となると。
ということで、解析概論の現代版を読みはじめようと思う。
理を求めて。
細々と息長く、はじめたい。