大学は偏差値で選ぶ。
同じレベルなら、より有名な大学を選ぶ。
レベルとラベル。
それが私たちが高校生の頃の常識。
初めて大学に入るのが入学試験のとき、
なんてことは当時、常識だったと思う。
第一志望以外は、下見も学校見学もしない。
そんな暇があるなら時間を惜しんで勉強しろ、
って誰かに言われた。
誰かって誰?
先生、先輩、友人?
ともかく実状も知らずに進学した人間は、
私以外にも多くいただろう。
予備校がネットワークを広げ、
受験の情報を集め、
それを精緻にすればするほど、
大学に受かる可能性は広がるが、
その分、不本意入学は増えているだろう。
多くの私立大学で定員割れしているというが、
それはあの予備校の
難易度ランキングの影響もたくさんあるだろう。
それでも私立大学側が
予備校を名誉毀損で訴えないのは、
その予備校の冊子に
広告を掲載してもらっているからである、
と予想する。
「共依存」
それは我が校も無関係ではない。
大学の話に戻る。
思い出したのたが、
私は私なりに大学1,2年生のとき、
真面目に勉強していた。
ただ当時の私には、数学は難し過ぎた。
イメージが持てなかった。
公理や定義から始まる体系に
馴染めなかった。
証明を読んでも、
「そりゃそうだろ」
としか思えなかった。
冴えない私は、
不真面目な同級生に嘲笑された。
ただ、彼らとは仲間だったときもある。
ノートを貸してもらったこともあるし、
その御礼に、
答案を見せたこともある。
もっと真面目な学生からすれば、
私たちは、
同じ不本意入学してきた不真面目な学生
に見えただろう。
何が間違いだったのか。
1つは、
自分が理系大学で何を学びたいのか、
ということを考えなかったこと。
さっきと同じである。
そんなことを考える暇があるなら、
偏差値を上げる努力しろ、
って言われると思っていた。
(それは間違いだ。)
2つめは、
自分の職業の未来像をイメージ
(デザイン?)しなかったこと。
我が家は貧しかったのだから、
バブルに浮かれることなく、
身の程をわきまえた大学を選ぶべきだった。
それでも東京に出たかったら仕方ない。
ただ、もう少し、
両親と話しあえば良かった。
学費のために父が無理して働き、
その結果、生命を短くしたとしたら、
もう謝っても謝りきれない。
間違いの最後は、学ぶ意思の弱さ。
「もう後悔はしない。」と決めたので、
もう悔やまないが、
大学で学んだ知識は、
本当に何一つ身についていない。
「大学なんてそんなもんだろ」、
って言う声が聞こえきそうだが、
果たしてそれは真実か?
あらためて、
自分が何を大学で学びたかったか、
ということに気がついた。
それは大学にあらためて通わなくても、
学べる。
なぜなら、
学びの成功例は、
自身の失敗例から学べるからだ。
季節柄、
大学入試の情報誌が、
私の手元に届いてきた。
不惑を目前にして、
いろいろな構図が見えてきた。
なるほど、
受験だけでなく、
社会はこうなっているのか。
大学の難易度ランキングなんて、
20年前とほとんど変わらない。
なるほど、
みんな地方から東京に出てくることが理解できる。
なるほど、
就職活動が以前より話題になることが分かる。
構図は理解できた。
でも私の仕事はなんだ?
私の仕事は、
学び方を教え、
学べる大学に入れるだけの学力を
つけてあげること。
もう不本意に入学し、
不真面目な学生にしてはならぬ。
理系には四年で学ぶことはたくさんある。
不本意入学させてはならぬ。
同じレベルなら、より有名な大学を選ぶ。
レベルとラベル。
それが私たちが高校生の頃の常識。
初めて大学に入るのが入学試験のとき、
なんてことは当時、常識だったと思う。
第一志望以外は、下見も学校見学もしない。
そんな暇があるなら時間を惜しんで勉強しろ、
って誰かに言われた。
誰かって誰?
先生、先輩、友人?
ともかく実状も知らずに進学した人間は、
私以外にも多くいただろう。
予備校がネットワークを広げ、
受験の情報を集め、
それを精緻にすればするほど、
大学に受かる可能性は広がるが、
その分、不本意入学は増えているだろう。
多くの私立大学で定員割れしているというが、
それはあの予備校の
難易度ランキングの影響もたくさんあるだろう。
それでも私立大学側が
予備校を名誉毀損で訴えないのは、
その予備校の冊子に
広告を掲載してもらっているからである、
と予想する。
「共依存」
それは我が校も無関係ではない。
大学の話に戻る。
思い出したのたが、
私は私なりに大学1,2年生のとき、
真面目に勉強していた。
ただ当時の私には、数学は難し過ぎた。
イメージが持てなかった。
公理や定義から始まる体系に
馴染めなかった。
証明を読んでも、
「そりゃそうだろ」
としか思えなかった。
冴えない私は、
不真面目な同級生に嘲笑された。
ただ、彼らとは仲間だったときもある。
ノートを貸してもらったこともあるし、
その御礼に、
答案を見せたこともある。
もっと真面目な学生からすれば、
私たちは、
同じ不本意入学してきた不真面目な学生
に見えただろう。
何が間違いだったのか。
1つは、
自分が理系大学で何を学びたいのか、
ということを考えなかったこと。
さっきと同じである。
そんなことを考える暇があるなら、
偏差値を上げる努力しろ、
って言われると思っていた。
(それは間違いだ。)
2つめは、
自分の職業の未来像をイメージ
(デザイン?)しなかったこと。
我が家は貧しかったのだから、
バブルに浮かれることなく、
身の程をわきまえた大学を選ぶべきだった。
それでも東京に出たかったら仕方ない。
ただ、もう少し、
両親と話しあえば良かった。
学費のために父が無理して働き、
その結果、生命を短くしたとしたら、
もう謝っても謝りきれない。
間違いの最後は、学ぶ意思の弱さ。
「もう後悔はしない。」と決めたので、
もう悔やまないが、
大学で学んだ知識は、
本当に何一つ身についていない。
「大学なんてそんなもんだろ」、
って言う声が聞こえきそうだが、
果たしてそれは真実か?
あらためて、
自分が何を大学で学びたかったか、
ということに気がついた。
それは大学にあらためて通わなくても、
学べる。
なぜなら、
学びの成功例は、
自身の失敗例から学べるからだ。
季節柄、
大学入試の情報誌が、
私の手元に届いてきた。
不惑を目前にして、
いろいろな構図が見えてきた。
なるほど、
受験だけでなく、
社会はこうなっているのか。
大学の難易度ランキングなんて、
20年前とほとんど変わらない。
なるほど、
みんな地方から東京に出てくることが理解できる。
なるほど、
就職活動が以前より話題になることが分かる。
構図は理解できた。
でも私の仕事はなんだ?
私の仕事は、
学び方を教え、
学べる大学に入れるだけの学力を
つけてあげること。
もう不本意に入学し、
不真面目な学生にしてはならぬ。
理系には四年で学ぶことはたくさんある。
不本意入学させてはならぬ。