昨日の読売新聞に、
「大学の先生から高校の先生へのお願い」という記事があった。
知名度と偏差値(難易度)だけで大学を選ばないでほしい、
進路指導しないでほしい、というお願いだった。
最近は、本校でもそういう風潮はあるが、
①国公立大学
②早慶上智
③G-MARCH(学習院・明治・青山・立教・中央・法政)
と最近は言うらしい。
④都市圏の有名大学(日東駒専、大東亜帝国など)
ばかり、進学を勧める指導するらしい。
特に、進学実績がその後の入学希望者の多少を左右するので、
進学重点校などは、
「私立大学に進学しようと思うのですが、」
と学校の先生に相談すると、
「じゃあ、勝手に受けて下さい。」
と言われるらしい。
なんでも、学校の進学実績とは、
国公立大学への合格者数をいうのであって、
その数に入らない生徒には、冷たい仕打ちをするのだとか。
また、最近の私立大学の合格者の半数は、
各種の推薦入試(指定校推薦・自己推薦・AO入試)での合格者らしく、
基礎学力の低下とそれに基づく学習意欲の減退に、
大学は頭を痛めているのだとか。
まあ、それは入試を多様化し、
学力検査の軽減で人気を少し集めたのだから、
自業自得とも言えなくもない。
その記事であったのは、
指定校推薦で入学してきた生徒が、
自分が入った学科が、何を勉強するところかも知らない、
とか、
学校の先生が、「おまえはここにしろ」って言ったから、
とかで、入学してきて、困っているというのあった。
実は、これは他人事でない。
本校でも、指定校推薦で推した生徒が、
進学希望の理由書にとんちんかんなことを書き、
面接でとんちんかんなことを答えたらしく、
私を含む数人の先生が、その大学に陳謝のために訪れる、
という一件が数年前にあった。
まあ、嘘をつけないうちの生徒にホッとするところもあるが、
そんなんだったら、
多少、ペーパー試験が不安だからって、弱気になって推薦出すなよ、
って言いたかった。
とはいう自分も、
高校生の頃、「まあ、ダメもとで推薦試験、申し込んでみるか。」
としたので、人のことは言えない。
まあ、ダメもとだったので、不合格だったが切替は速かった。
それでも、2週間くらいは受験勉強が停滞したし、
だったら、もう少し進路について考えても良かったかな、
と思うことはある。
先頃、
「大学の面倒見が悪かったので、
一生懸命勉強して入学したが、寂しい思いをし、
危うくドロップアウトしそうだった。
だから、教え子や我が子たちは、面倒見の良い大学に入れたい。」
と書いたが、
一方で私も問題はあった。
酒を覚え、入学後しばらくは、新歓ムードもあり、
ふしだらに飲み歩いたこと。
また、その後の体調不良や学習意欲減退で、
大学入学当初、授業をサボりまくったこと。
テストを途中退出したり、結局、1時間も出席しない科目もあった。
授業に出られないのは、
実は、別の義理を果たすため、という言い訳もあるのだが、
とにかく二十歳になるまで、
僕の大学生活は、半分は自分のせいで、ボロボロだった。
貧しい農家の息子が、
バブルで華やぐ都会の私立大学に行くのものではない。
よくある、つくりの安いドラマのように、
自堕落な学生になってしまう。
事実、私の周辺には、留年生が数多くいたし、
卒業できずに、実家に戻った人もいた。
「ちょっとおまえ、連絡してみろよ。」
と言われ、勇気を出して、田舎に帰った先輩に、
「これからどうするんですか?」
と直球の、ぶしつけな質問をしてしまったこともあった。
一方で、塾の講師で自信をつけ、
大学を年限いっぱいかかって卒業し、
いまや有名予備校のカリスマ講師となっている友人もいる。
なんでも年収はタレント並みとか。
他人の人生はわからないものである。
そういう私も、教師という手堅い商売に就いているのだから、
アヘン窟のような学生のたまり場でタバコを吸いながら、
つまらない漫画やゲームで一緒に時間をつぶしていた、
当時の友人たちは、
「うまいことやりやがって」と思っているかも知れない。
この場を借りて、謝罪しておこうか。
「ごめん。俺、実は根は真面目だったんだ。
今はちゃんとやってます。
あっ、そんな、ちゃんとでもないか。
けっこう、自分なりに頑張っています。」
話は戻って、
新聞で、大学の先生がそういうものの、
実は知名度と偏差値以外で、生徒は選びようがない。
とにかく、
とても授業だけでは解けそうもない問題が出題されるので、
こちらも授業だけでなく、補習や講習をして、
対策をとらねばならない。
生徒も、そう。
強いて大学選択の基準を示せば、
「大学で何を学びたいか?」
でもこれだって、難しい。
とりわけ、学部名や学科名が、
「環境情報」とかだと、「環境」と「情報」?
なにがなんだかわからない。
どこの大学だが、「国際経営情報学部」っていうのがあったが、
「国際+経営+情報(コンピュータ)」ってことか、と思った。
一方で、東大のように、
入ってから「進学振り分け」で自分の所属学科を選べる大学もある。
また高校生は(高校は)、大学入学の準備のためだけにあるわけではない。
甲子園を目指したり、文化祭に燃えたりと、
その青春を謳歌する資格や権利も、高校生にはある。
きちんと、
「うちの大学に来れば、こういうことが学べます。」
もっと言えば、
「うちの大学は、ここにあります。○○駅から徒歩○分で、
4年間とも、当たり前ですが、1つのキャンパスで学べます。」
というくらい、広告・広報には力を入れてほしい。
本当に、自分の大学に来てほしいのならば。
だいたい、1,2年次は郊外のキャンパスで、
3,4年次は都心のキャンパスって制度ってなんだよ?
単位落としたら、2つのキャンパスを往復しなきゃならないじゃないか?
そういうところが、学生本意じゃないんだよ。
だって、小学校とか中学校とかで、上級生になったら、
キャンパスが変わるってないだろ?
不自然じゃないか?
話は変わって、
首相も替われば、政治思想も変わるのか?
こっちは衆議院の総選挙も出来ないうちに、
首相が次々替わり、今度の首相は、規制緩和路線からの脱却とか。
その間成立した、無意味な教員免許更新制。
さきほど、今年のパイロット講習を受けてきた人の話を聞いたが、
ほんとアホなことをするらしい。
お手玉の回数を競うとか、竹とんぼをつくり、また競うとか。
サラダやカレーも作るらしい。
そしてその間に、大学の先生の、リアリティーのない話を聞かされるとか。
なんでも、大学の先生も、
「現場の先生にアカデミックな教育論を話しても無駄だ。」
とか言っているとか、また教務主任からは、
「あまり単位を出さないと、人気が落ちて、
更新講習会の申込者が減るから、
パイロット講習の受講者は99%合格にしろ。」と言われているとか。
おいおい、頼むよ、ほんとに。
話を戻して。
団塊世代ジュニアの私たちは、
中学時代・高校時代に、
「勉強しないと、高校に入れない・大学に入れない。」
と脅されてきた。
ところが今は、規制緩和でどんどん大学が出来て、
キャンパスや体育実技が出来る施設がなくても、
大学と認可されるような、「ほんまかいな」という名前の大学も出来て、
まもなく、大学入学希望者は、大学を選ばなければ、
必ず大学に入れるという、定員数=大学入学希望者数という、
「全入時代」を迎えるらしい。
とどのつまり、大学の乱立である。
全く、政策はおかしい。
第2次ベビーブームのときは大学の数が足りなくて、
合格できずに泣く泣く就職した友人もいるというのに、
いまや定員割れをしている大学も数多くあるという。
それで、一方で、
知名度だけで大学を選ぶな、というのは暴論だ。
いつどの大学がつぶれるのかわからないのに、
あまり知っている人がいない大学に入学するのは勇気がいる。
知名度がイマイチでも入学してほしいなら、
せめて入学後4年間は破綻しない保証と、
就職の心配はさせないだけの、リクルート力は持ってほしいものである。
とにかく、
他人のせいにしないように、
生徒も私たち教員も、大学の先生も頑張るしかない。
たしかなものが何もないのだから。
「大学の先生から高校の先生へのお願い」という記事があった。
知名度と偏差値(難易度)だけで大学を選ばないでほしい、
進路指導しないでほしい、というお願いだった。
最近は、本校でもそういう風潮はあるが、
①国公立大学
②早慶上智
③G-MARCH(学習院・明治・青山・立教・中央・法政)
と最近は言うらしい。
④都市圏の有名大学(日東駒専、大東亜帝国など)
ばかり、進学を勧める指導するらしい。
特に、進学実績がその後の入学希望者の多少を左右するので、
進学重点校などは、
「私立大学に進学しようと思うのですが、」
と学校の先生に相談すると、
「じゃあ、勝手に受けて下さい。」
と言われるらしい。
なんでも、学校の進学実績とは、
国公立大学への合格者数をいうのであって、
その数に入らない生徒には、冷たい仕打ちをするのだとか。
また、最近の私立大学の合格者の半数は、
各種の推薦入試(指定校推薦・自己推薦・AO入試)での合格者らしく、
基礎学力の低下とそれに基づく学習意欲の減退に、
大学は頭を痛めているのだとか。
まあ、それは入試を多様化し、
学力検査の軽減で人気を少し集めたのだから、
自業自得とも言えなくもない。
その記事であったのは、
指定校推薦で入学してきた生徒が、
自分が入った学科が、何を勉強するところかも知らない、
とか、
学校の先生が、「おまえはここにしろ」って言ったから、
とかで、入学してきて、困っているというのあった。
実は、これは他人事でない。
本校でも、指定校推薦で推した生徒が、
進学希望の理由書にとんちんかんなことを書き、
面接でとんちんかんなことを答えたらしく、
私を含む数人の先生が、その大学に陳謝のために訪れる、
という一件が数年前にあった。
まあ、嘘をつけないうちの生徒にホッとするところもあるが、
そんなんだったら、
多少、ペーパー試験が不安だからって、弱気になって推薦出すなよ、
って言いたかった。
とはいう自分も、
高校生の頃、「まあ、ダメもとで推薦試験、申し込んでみるか。」
としたので、人のことは言えない。
まあ、ダメもとだったので、不合格だったが切替は速かった。
それでも、2週間くらいは受験勉強が停滞したし、
だったら、もう少し進路について考えても良かったかな、
と思うことはある。
先頃、
「大学の面倒見が悪かったので、
一生懸命勉強して入学したが、寂しい思いをし、
危うくドロップアウトしそうだった。
だから、教え子や我が子たちは、面倒見の良い大学に入れたい。」
と書いたが、
一方で私も問題はあった。
酒を覚え、入学後しばらくは、新歓ムードもあり、
ふしだらに飲み歩いたこと。
また、その後の体調不良や学習意欲減退で、
大学入学当初、授業をサボりまくったこと。
テストを途中退出したり、結局、1時間も出席しない科目もあった。
授業に出られないのは、
実は、別の義理を果たすため、という言い訳もあるのだが、
とにかく二十歳になるまで、
僕の大学生活は、半分は自分のせいで、ボロボロだった。
貧しい農家の息子が、
バブルで華やぐ都会の私立大学に行くのものではない。
よくある、つくりの安いドラマのように、
自堕落な学生になってしまう。
事実、私の周辺には、留年生が数多くいたし、
卒業できずに、実家に戻った人もいた。
「ちょっとおまえ、連絡してみろよ。」
と言われ、勇気を出して、田舎に帰った先輩に、
「これからどうするんですか?」
と直球の、ぶしつけな質問をしてしまったこともあった。
一方で、塾の講師で自信をつけ、
大学を年限いっぱいかかって卒業し、
いまや有名予備校のカリスマ講師となっている友人もいる。
なんでも年収はタレント並みとか。
他人の人生はわからないものである。
そういう私も、教師という手堅い商売に就いているのだから、
アヘン窟のような学生のたまり場でタバコを吸いながら、
つまらない漫画やゲームで一緒に時間をつぶしていた、
当時の友人たちは、
「うまいことやりやがって」と思っているかも知れない。
この場を借りて、謝罪しておこうか。
「ごめん。俺、実は根は真面目だったんだ。
今はちゃんとやってます。
あっ、そんな、ちゃんとでもないか。
けっこう、自分なりに頑張っています。」
話は戻って、
新聞で、大学の先生がそういうものの、
実は知名度と偏差値以外で、生徒は選びようがない。
とにかく、
とても授業だけでは解けそうもない問題が出題されるので、
こちらも授業だけでなく、補習や講習をして、
対策をとらねばならない。
生徒も、そう。
強いて大学選択の基準を示せば、
「大学で何を学びたいか?」
でもこれだって、難しい。
とりわけ、学部名や学科名が、
「環境情報」とかだと、「環境」と「情報」?
なにがなんだかわからない。
どこの大学だが、「国際経営情報学部」っていうのがあったが、
「国際+経営+情報(コンピュータ)」ってことか、と思った。
一方で、東大のように、
入ってから「進学振り分け」で自分の所属学科を選べる大学もある。
また高校生は(高校は)、大学入学の準備のためだけにあるわけではない。
甲子園を目指したり、文化祭に燃えたりと、
その青春を謳歌する資格や権利も、高校生にはある。
きちんと、
「うちの大学に来れば、こういうことが学べます。」
もっと言えば、
「うちの大学は、ここにあります。○○駅から徒歩○分で、
4年間とも、当たり前ですが、1つのキャンパスで学べます。」
というくらい、広告・広報には力を入れてほしい。
本当に、自分の大学に来てほしいのならば。
だいたい、1,2年次は郊外のキャンパスで、
3,4年次は都心のキャンパスって制度ってなんだよ?
単位落としたら、2つのキャンパスを往復しなきゃならないじゃないか?
そういうところが、学生本意じゃないんだよ。
だって、小学校とか中学校とかで、上級生になったら、
キャンパスが変わるってないだろ?
不自然じゃないか?
話は変わって、
首相も替われば、政治思想も変わるのか?
こっちは衆議院の総選挙も出来ないうちに、
首相が次々替わり、今度の首相は、規制緩和路線からの脱却とか。
その間成立した、無意味な教員免許更新制。
さきほど、今年のパイロット講習を受けてきた人の話を聞いたが、
ほんとアホなことをするらしい。
お手玉の回数を競うとか、竹とんぼをつくり、また競うとか。
サラダやカレーも作るらしい。
そしてその間に、大学の先生の、リアリティーのない話を聞かされるとか。
なんでも、大学の先生も、
「現場の先生にアカデミックな教育論を話しても無駄だ。」
とか言っているとか、また教務主任からは、
「あまり単位を出さないと、人気が落ちて、
更新講習会の申込者が減るから、
パイロット講習の受講者は99%合格にしろ。」と言われているとか。
おいおい、頼むよ、ほんとに。
話を戻して。
団塊世代ジュニアの私たちは、
中学時代・高校時代に、
「勉強しないと、高校に入れない・大学に入れない。」
と脅されてきた。
ところが今は、規制緩和でどんどん大学が出来て、
キャンパスや体育実技が出来る施設がなくても、
大学と認可されるような、「ほんまかいな」という名前の大学も出来て、
まもなく、大学入学希望者は、大学を選ばなければ、
必ず大学に入れるという、定員数=大学入学希望者数という、
「全入時代」を迎えるらしい。
とどのつまり、大学の乱立である。
全く、政策はおかしい。
第2次ベビーブームのときは大学の数が足りなくて、
合格できずに泣く泣く就職した友人もいるというのに、
いまや定員割れをしている大学も数多くあるという。
それで、一方で、
知名度だけで大学を選ぶな、というのは暴論だ。
いつどの大学がつぶれるのかわからないのに、
あまり知っている人がいない大学に入学するのは勇気がいる。
知名度がイマイチでも入学してほしいなら、
せめて入学後4年間は破綻しない保証と、
就職の心配はさせないだけの、リクルート力は持ってほしいものである。
とにかく、
他人のせいにしないように、
生徒も私たち教員も、大学の先生も頑張るしかない。
たしかなものが何もないのだから。