センター試験の自己採点の結果も、
各予備校から返ってきて、
いよいよ国立大学も出願の時期になりました。
私立大学はもうすぐ締切ですかね?
朝日新聞の願書締切の広告も少なくなってきた気がします。

またちょっと、自分のコトを振り返ります。
いま、教員をやっているので、
勉強に熱心な学生だったかというと、
実はそうでもありません。
いつか、進路決定のエッセイを書きました。
そこでは、数学の教員になる可能性がある道を選びましたが、
実は受験勉強に疲労困憊していました。
(いま思うと、『鬱』だったかも。)
とくにセンタ-試験で失敗した数学については、
「もう、いいかな。」
と思っていたところもあったのです。
当時は、バブル崩壊前夜。
なんとか理科系の大学に進学できたので、
数理科学をしっかり勉強し、
コンピュータをマスターし「SEなる!」
と言っていた気がします。
とにかく、
「カタカナ」の職業に就きたいと思っていました。
それが「教諭」と、
いまは漢字二文字の職業ですから、
また変わればまた変わるものですね。

ですから、実学です、私が大学に求めていたのは。
大学には就職のために行く、という感も強かったです。
できれば高校卒業と同時に働き、自立したかったですが、
コネもカネも、また生きる術も持たない田舎者ですから、
大学で社会で生きるスキルを身につけ、
なにか華やかな職業に就き、
都会をカッコイイ車で颯爽と走る抜ける。
そんなイメージもありました。

いつだったか、大学の講演で、
「演劇」の研究をしている教授の話を聞いてびっくりしました。
そんなコトを研究して、就職が出来るのか?
もっと社会の役に立つ何かを4年間で学ぶなくて良いのか?
と思ったところがあります。
せっかく取り始めた「教職課程」は、
2週間も立たないうちに、
「これは(教員は)、俺に向かない。」
と一度、中断しています
(数年後に、事務室にお願いして、再受講しています。)

途中で私は、「思想の転向」をします。
最近読んだ、大学の先生の書いた新聞記事を読んで、
考えが変わることもありました。
簡単に言えば、
「大学はいかに生きるところかを考えるところだ。」
と思うようになっています。
まあ、自分の性格から、
また、これまでのコトも含めて、
考え方も大きな振幅があるので、
これも確定とは言えないところがありますが、
最近は、そう考えています。

大学3年のとき、
「俺はコンピュータに向かない。」
と確信しました。
そうなると、振幅は大きく、
「もうコンピュータ関連の科目の聴講はやめよう。」
となりました。
正確には、「性格がコンピュータ言語に向かない。」
と感じていました。
あれほど、Macintoshが欲しくて仕方なかったのに。
(その願望は最近、成就しました。
 コンピュータ言語に未練があった時期もありましたが、
 最近、それは老後の楽しみにしています。)
それで私は「教育」に傾きます。
自分の受けた教育を振り返り、
自分だったらどんな教師になれるか、なるべきか。
そこから自分の生きる道について、
真剣に考えはじめました。

でも、新聞広告を見ると、
ほんと大学っていうのは、
いろいろなことが学べるのですね。
最近は、
カタカナやいくつかの言葉の組み合わせの学部名もあって、
「情報環境学部」あるいは「環境情報学部」
「グローバルスタディ」とか「リベラルアーツ」
「コミュニケーション&コンピュータ」とか、
一目で何が学べるか、というのもわかりません。
どちらかというと、実学志向なのですかね。

話は変わって、
先日、若い先生が「旅行記」なる手記を発表しました。
「外国語教師は、多くの外国を見るべし。」
とそこには書かれていました。
「ほう、そういう考え方もあるのか。」
と正直に、そう思いました。
苦学生だったので、海外旅行とか、
あまり考えたことはありません。
大手の企業に勤めれば、海外出張とかもあるだろうからと、
一応、英語の学習には努めていましたが、
「世界を見て回ろう。」
なんて、考えも及びませんでした。

中学生の頃、「イレブン」という月刊のサッカー雑誌がありました。
そのうち廃刊になってしましましたが、
当時の特集で見た「ヨーロッパ3大サッカー杯」のカラーページは、
衝撃でした。
「いつかヨ-ロッパでサッカーをしてみたい。」
と本気で思いました。
いまでも、目を閉じれば、
そのルンメニゲ選手(西ドイツ代表)の咆哮の写真が浮かんできます。
「そうか、世界を見て回る、っていうのもいいな。」
とあらためて思いました。

自分の子ども達のことを考えます。
それほどお金に困るわけでもないですし、
(もちろん余裕があるわけではありませんが)
彼かに継がせる生業もあるわけではありません。
子ども達には、鬱屈としていない、
大学生活を送らせてあげたいと思います。
自由な精神で。
そして、自分はいかに生きるべきか、と考えて欲しいと思います。
もちろん、本校の生徒にも、そうしてほしいと思いますが、
いろいろな考えの保護者がいることは、経験から知っていますし、
教員が何か1つの進路を押しつけられるものではありません。

でも、大事かなあ、こんな時代だからこそ。
たしかな何かを自分で見つけること。
そう思っています。
それはカリキュラムとか資格とかからは、
遠いものかも知れませんが。