このブログを書くことで、自分の考えをまとめようとしています。
「またか。」と思われた人もいるかも知れませんが、
ご了承下さい。自分の半生を振り返ることで、
生徒の進路指導に役立てようと思っています。大学進学の話です。
先月の雑誌「東洋経済」の恒例企画らしい「本当に強い大学」
という記事は、やはり経済誌らしく、
学生の入学前・入学後の「成長」というパフォーマンスの変化のコストと、
また大学の財務状況という点で分析し、多様なランキングを示していた。
しかし日本の社会のそれが、
インプット&アウトプットばかりクローズアップするように、
その大学の教育や研究の内実は分析されることなく、
そればかりに終始していた印象であった。
同時期に発表された英国の、世界の大学ランキングでは、
日本の大学の序列は、
旧七帝大を軸に理工系で研究成果をあげているらしい大学が上位で、
雑誌の記事とは様相がまったく異なっていた。
雑誌で「年収ランキング首位」だった大学が、
社会科学系学部のみの大学であったことからか、
英国の評価機関ではそれほど高評価ではなかった。
職業柄、経済に詳しくはないが、
これだけ世界経済が話題になっているので、
理工系だけでなく、経済学も時代の最先端で果たす役割を大きいだろう、
と想像すると、社会科学系大学の評価が低くないか、とも思う。
したがって英国の評価機関のランキングも、
「そんなに正統的、あるいは権威的であると言えるのか?」
と考えるのである。
思うに、この手のランキングを気にしている人は、
①その大学に勤務している教職員②卒業生
が大勢で、
③入学を考えている受験生とその保護者
はそれほど気にしていないのではないだろうか?
③入学を考えている受験生が考えているのは、
入試難易度ランキングと、ちょっと先見性がある人は就職状況
ではないかと思う。
1月になればセンター試験があるが、
このセンター試験を入試として利用する大学が増えた昨今は、
各予備校が、偏差値あるいは難易度、あるいはセンター試験の得点率で、
すべての大学・学部を序列化する風潮が強い。
それは、実は昨今に限らず、私が大学生であった頃もそうだった。
まったく学ぶことが違うのに、難易度で序列化されるなんて、
「なんて理不尽な」と、当時も今も思っている。
しかしながら、国の戦略なのか、
「勉強をして、良い大学へ行って、良い企業に就職する。」
という企業「就社」中心の価値観を超克する価値観を、
現場の先生も、受験生はもちろんその保護者も持ち得ない状況では、
予備校という大学の難易度評価機関と、
企業とまたその一部のマスメディアという大学の就職状況評価機関の
記事くらいしか、参考になるモノはない。
しかしながら、近年の情報化社会では、
「卒業生の満足度」という評価も集めやすいようで、
上の2つの評価とはまったく異なる様相を見せる。
どこまで客観的な評価であるのかは難しいが、
ここで上位に位置する大学が、都心のマンモス大でないのは、
また別の観点を教えてくれる。
また、この手の評価は大学にも企業にも都合が悪いのか、
あまり流布されることはない。
それとも、卒業生の数が問題を大きくさせないのか。
例によって、まとまりがない内容になってきた(ノ_・。)
すいません。
また先日の新聞記事から知った、
「卒業生の満足度の高い大学no.1」の大学が見本としている、
レベラルアーツカレッジについて調べてみると、
なるほど、
郊外の単科大学あるいは小規模大学というイメージが想起される。
寮を完備し、キャンパス内で一日の生活が完結し、
またヴァケーションになれば、実家や避暑地に繰り出す、
アメリカの若者の姿がイメージされる。
また、入学は易しくとも卒業が難しいというアメリカの大学。
学期中はアルバイトもせず、ひたすら勉強しているとか。
日本の大学にいた自分自身を振り返っても、
「あれだけ入学前勉強したのだから、しばらく(大学1,2年の頃)は、
勉強しなくても良いだろう。」
「バイクや車に乗りたい。人気の服も買いたい。
デート代も稼がねば。」
と生活したところ、いまでも後悔している大学生活。
いまさらながら、アメリカの大学生を羨ましく思う。
今朝の朝日新聞にも、大学のあり方の論評が数点、掲載されていた。
少子化が現実となった昨今、どうして大学の新設が相次ぐのか?
一方で、貧しい国だったからか、それとも「小さな政府」の思想か、
なにがなんでも「受益者負担」で、
こどもの教育費の負担も大きいこの国。
大学が増えても、「全入」とはならず、
定員割れや財務状況が悪い大学もかなりあるという。
論者の中には、「大学再編」という言葉がすぐ出てくるが、
なんでも大局観ですべてリセットされるものでもないだろう。
それぞれの地域や大学設置者の思いや思惑があるので、
簡単にリセットというのはやめてほしい。この手の方には多い論である。
そう簡単に、折り合いは付かない。
教師として思う。
健康を損ねるほど勉強することはないし、
心を痛めるような価値観をすることはない。
自分の能力を伸ばすように勉強を重ね、
自分の能力と興味に応じた大学に進めばよい。
ただこちらで強要することはない。
保護者にも、いろいろな考えの方がいるだろう。
わが子ではない子に、自分の考えを押しつける気はない。
いや、わが子であっても、押しつけることはない。
自分の考えで、大学に進めばよい。
人生は長い。ある方向性は決まるが、
入った大学で人生のすべてが決まるわけではない。
運・不運だってある。
人によっては、大規模で都心にあり、
研究者養成といったような、比較的放任な大学の方が、
気兼ねが少なくて良いかも知れない。
人によっては、教職員と学生が1人1人、名前と顔が一致するような、
こじんまりとした大学で勉強に邁進できるような環境が良いこともある。
最近は、大学生を囲む環境も、あまり良くないので、
ともすると勉強の目的を見失いがちである。僕がそうだったように。
だから、とくにわが子には、
「それほど有名な大きい大学へ行くことばかりが、すべてではないよ。
僕は自尊心を満たしたくて、そうしたし、
有名大学へ行ったことで職を得たが、
大学生時代に失ったもの、あるいは得られなかったものもある。
偏差値以外に大学を選ぶ観点はある。
おまえはどうしたい?お父さんが話を聞こうか。」
大学生になっても勉強してほしい。
見聞もひろげてほしいが、遊び呆けてばかりは、いけない。
確かな知識を身につけるように大学に行ってほしい。
そういう大学を見つけてほしい。
僕は、労は惜しまないから。
「またか。」と思われた人もいるかも知れませんが、
ご了承下さい。自分の半生を振り返ることで、
生徒の進路指導に役立てようと思っています。大学進学の話です。
先月の雑誌「東洋経済」の恒例企画らしい「本当に強い大学」
という記事は、やはり経済誌らしく、
学生の入学前・入学後の「成長」というパフォーマンスの変化のコストと、
また大学の財務状況という点で分析し、多様なランキングを示していた。
しかし日本の社会のそれが、
インプット&アウトプットばかりクローズアップするように、
その大学の教育や研究の内実は分析されることなく、
そればかりに終始していた印象であった。
同時期に発表された英国の、世界の大学ランキングでは、
日本の大学の序列は、
旧七帝大を軸に理工系で研究成果をあげているらしい大学が上位で、
雑誌の記事とは様相がまったく異なっていた。
雑誌で「年収ランキング首位」だった大学が、
社会科学系学部のみの大学であったことからか、
英国の評価機関ではそれほど高評価ではなかった。
職業柄、経済に詳しくはないが、
これだけ世界経済が話題になっているので、
理工系だけでなく、経済学も時代の最先端で果たす役割を大きいだろう、
と想像すると、社会科学系大学の評価が低くないか、とも思う。
したがって英国の評価機関のランキングも、
「そんなに正統的、あるいは権威的であると言えるのか?」
と考えるのである。
思うに、この手のランキングを気にしている人は、
①その大学に勤務している教職員②卒業生
が大勢で、
③入学を考えている受験生とその保護者
はそれほど気にしていないのではないだろうか?
③入学を考えている受験生が考えているのは、
入試難易度ランキングと、ちょっと先見性がある人は就職状況
ではないかと思う。
1月になればセンター試験があるが、
このセンター試験を入試として利用する大学が増えた昨今は、
各予備校が、偏差値あるいは難易度、あるいはセンター試験の得点率で、
すべての大学・学部を序列化する風潮が強い。
それは、実は昨今に限らず、私が大学生であった頃もそうだった。
まったく学ぶことが違うのに、難易度で序列化されるなんて、
「なんて理不尽な」と、当時も今も思っている。
しかしながら、国の戦略なのか、
「勉強をして、良い大学へ行って、良い企業に就職する。」
という企業「就社」中心の価値観を超克する価値観を、
現場の先生も、受験生はもちろんその保護者も持ち得ない状況では、
予備校という大学の難易度評価機関と、
企業とまたその一部のマスメディアという大学の就職状況評価機関の
記事くらいしか、参考になるモノはない。
しかしながら、近年の情報化社会では、
「卒業生の満足度」という評価も集めやすいようで、
上の2つの評価とはまったく異なる様相を見せる。
どこまで客観的な評価であるのかは難しいが、
ここで上位に位置する大学が、都心のマンモス大でないのは、
また別の観点を教えてくれる。
また、この手の評価は大学にも企業にも都合が悪いのか、
あまり流布されることはない。
それとも、卒業生の数が問題を大きくさせないのか。
例によって、まとまりがない内容になってきた(ノ_・。)
すいません。
また先日の新聞記事から知った、
「卒業生の満足度の高い大学no.1」の大学が見本としている、
レベラルアーツカレッジについて調べてみると、
なるほど、
郊外の単科大学あるいは小規模大学というイメージが想起される。
寮を完備し、キャンパス内で一日の生活が完結し、
またヴァケーションになれば、実家や避暑地に繰り出す、
アメリカの若者の姿がイメージされる。
また、入学は易しくとも卒業が難しいというアメリカの大学。
学期中はアルバイトもせず、ひたすら勉強しているとか。
日本の大学にいた自分自身を振り返っても、
「あれだけ入学前勉強したのだから、しばらく(大学1,2年の頃)は、
勉強しなくても良いだろう。」
「バイクや車に乗りたい。人気の服も買いたい。
デート代も稼がねば。」
と生活したところ、いまでも後悔している大学生活。
いまさらながら、アメリカの大学生を羨ましく思う。
今朝の朝日新聞にも、大学のあり方の論評が数点、掲載されていた。
少子化が現実となった昨今、どうして大学の新設が相次ぐのか?
一方で、貧しい国だったからか、それとも「小さな政府」の思想か、
なにがなんでも「受益者負担」で、
こどもの教育費の負担も大きいこの国。
大学が増えても、「全入」とはならず、
定員割れや財務状況が悪い大学もかなりあるという。
論者の中には、「大学再編」という言葉がすぐ出てくるが、
なんでも大局観ですべてリセットされるものでもないだろう。
それぞれの地域や大学設置者の思いや思惑があるので、
簡単にリセットというのはやめてほしい。この手の方には多い論である。
そう簡単に、折り合いは付かない。
教師として思う。
健康を損ねるほど勉強することはないし、
心を痛めるような価値観をすることはない。
自分の能力を伸ばすように勉強を重ね、
自分の能力と興味に応じた大学に進めばよい。
ただこちらで強要することはない。
保護者にも、いろいろな考えの方がいるだろう。
わが子ではない子に、自分の考えを押しつける気はない。
いや、わが子であっても、押しつけることはない。
自分の考えで、大学に進めばよい。
人生は長い。ある方向性は決まるが、
入った大学で人生のすべてが決まるわけではない。
運・不運だってある。
人によっては、大規模で都心にあり、
研究者養成といったような、比較的放任な大学の方が、
気兼ねが少なくて良いかも知れない。
人によっては、教職員と学生が1人1人、名前と顔が一致するような、
こじんまりとした大学で勉強に邁進できるような環境が良いこともある。
最近は、大学生を囲む環境も、あまり良くないので、
ともすると勉強の目的を見失いがちである。僕がそうだったように。
だから、とくにわが子には、
「それほど有名な大きい大学へ行くことばかりが、すべてではないよ。
僕は自尊心を満たしたくて、そうしたし、
有名大学へ行ったことで職を得たが、
大学生時代に失ったもの、あるいは得られなかったものもある。
偏差値以外に大学を選ぶ観点はある。
おまえはどうしたい?お父さんが話を聞こうか。」
大学生になっても勉強してほしい。
見聞もひろげてほしいが、遊び呆けてばかりは、いけない。
確かな知識を身につけるように大学に行ってほしい。
そういう大学を見つけてほしい。
僕は、労は惜しまないから。