本校の高校3年生もそうですが、
世の中の受験生が志望校・受験校を決定する時期になりましたね。
新聞を広げれば、それが実感できます。

それにしても私立大だけでなく、
国公立大もサービスが良くなってきましたね。
願書の宅配サービスとか、大学によっては願書無料とか。
また奨学金も充実してきましたね。
羨ましい限りです。
バブル景気にもかからわず、我が家にはその影響は皆無で、
また競争の激しい第2次ベビーブーム世代(団塊ジュニア)。
同級生でも、大学に受からず、
別の進路を選んだ友人も少なからずいます。
それがいまや、全入の一歩手前とは。(ノДT)
嘆いても仕方ありませんが、就職も氷河期だったので、
時代の流れに愚痴の一つも言いたくなります。

ところで最近の学生にとっては、
「教職」はあまり魅力のある職業でなくなっている、
という話を聞きました。
とある大学が開いた「教員就職セミナー」では、
新卒3年くらいのOBを数人呼んで、
「教職のすばらしさ」を志望者に伝えてもらおうとしたところ、
「もうやめたい」「モンスターピアレントは想像を絶する」
「教員なんて何もいいことはない。」
「年収もたかが知れてる」
と言いまくったらしく、セミナーのテンションはドンドン下がるとか。

これは、ある1つの大学の話かと思っていたら、
どの大学でも教職セミナーは似たような状況とか。
それは講師として呼んでる若い教員にあるんじゃないか?
あるいは、そういう風にしか話が出来なくしている、
若い教員をとりまく現場に問題があるんじゃないか?
と思います。

いきつけの床屋でも、髪を切りながら床屋のご主人と話す話は、
「また、私の子どもの学校の新採の先生、辞めましたよ。
 これで昨年から5人目かな。最近の若い人はこらえ性がないようね。」
と若手教員をばっさり。
2年で5人も新採が辞める学校っていうのもどうなのか、
と聞き返すと、「校長がね、…」とか「親がね…」とか話になりますが、
まあ、それはそうかなと。保護者からすればその辺しか見えないので。
私が問題だと思うのは、それ以外の人たちですね。
具体的には先輩や同僚の先生方です。
もちろん、保護者や校長もですが、
どんな「若手育成」の考えを持って、新人を迎えているのか…。

はじめからなんでもできる20歳代の若者なんていませんよ、ホント。
有能な方はいますよ、ホントに。
でも多くの人間のなかで教育を行うには、
「上手に折り合いをつけること」。
もちろん信念をもって教育を行った上でですが。
最近は、この「折り合いをつける」加減がねぇ、
なかなか難しいですよ、ホント。

話は戻って、
大学もそうですが、教職現場もそうらしいですね。
なにかというと、「成果主義」「公約実現」。
先日、朝日新聞では「公立学校も公約を打ち出す」という
記事が掲載されてました。東京のある1つの区の話らしいですが。
大学のアピールでも、「就職率100%」とか、
「留学経験、○○%」とか、達成率とか結果が掲載されています。
でもこういう数字、100に近づくに連れ、
私なんかは「なんか無理してない?」と思ってしまうのです。
別に100%じゃなくていいから、
「学生、1個人を大事にしてほしい」、
と思います。
「○○大学合格□名!」よりも、その数字の1つ1つ、
「1」に対してのドラマが、彼の本意に寄り添うものであったのか。
もちろん過保護はよくありませんが、
おおきな数字の中にある、
1つ1つのヒューマニズムにもう少し視点を合わせても良いのかな、
と思います。
「親はわが子1点集中、経営者は結果の数字のみ。」
いびつな時代になりました。
複眼的でもいいかなあ、と思う昨今です。