教員をしていて残念なのは、
ハイテクあるいは最先端から取り残される、
ということである。
私たちは、人類普遍の財産を後進に伝えることが仕事である。
だから、最先端のことを教えるのではなく、
どちらかというと、古典を読み解き、
そこにある熱意や創意工夫を伝える、ということが多い。
中学3年生に教えるピタゴラスの定理の成立は紀元前後、
高校3年生に教える微分積分ですら18世紀ごろの成立。
社会科学や現代文でポストモダンとか言われても、
高校数学はモダンですらない。
ベクトルと行列くらいか、モダンなのは。
学会から高校生向けのチラシが来たので、
生徒の目に付くように掲示した。
その隣にはロボット工学のチラシが。
新聞をひろげれば金融不安のニュースが。
どちらのこともよくわからない。
どういう仕組みなのか、どうすればよいのか。
高校時代の友人は、レインボーブリッジを建てた会社に就職し、
いまどこかの国で大きな建築物を建てているらしい。
ちょっとだけ、スケールがでかいことが羨ましい。
今の自分の仕事を誇りをもってやっている。
しかし、あるコミュニケーションの場で、
実はどれだけ「教育」に対して無知か、
ということを思い知られた(気がする)。
失礼だが、時代の流れに敏感で、
保護者の立場に立てる同僚でも「?」と思うことがある。
その直後、ふとした暇に「教育原理」のテキストをひろげた。
また、ペスタロッチが何を言ったとか、
デューイがこうしたとか、たくさん書いてあった。
あいかわらず、「で、なによ?」
学生も教える側の教授も、
もう少し丹念にその精神性を読み解く、
そしてそれが現実的にどういう意味を持つのかを考える、
そういう時間が必要だったのだなあと感じた。
大学の教職課程は、
「なるほど」と思えることが少なくてつまらなかったことも思いだした。
ヘタをすれば、教員免許も持っていない、
教育実習も行っていない教授が教えていることもその一因だろう。
一方で、古典の教育原理に書いてあったようなことを、
先日、外部のスタッフの方に教えられた。
「どれだけ待てるか。どれだけ気づかせてあげることが出来るのか。」
その引き出しを多くもつこと、
言葉や気持ちをかけてあげられるかが、
教育の本質ではなかったか?
それは私たち、現場の教員にしかできない、かけがえのない仕事である。
目の前の子ども達こそ、未来なのだから。
ハイテクの開発だけが、最先端科学ではない、とも気づかされた。
ハイテクあるいは最先端から取り残される、
ということである。
私たちは、人類普遍の財産を後進に伝えることが仕事である。
だから、最先端のことを教えるのではなく、
どちらかというと、古典を読み解き、
そこにある熱意や創意工夫を伝える、ということが多い。
中学3年生に教えるピタゴラスの定理の成立は紀元前後、
高校3年生に教える微分積分ですら18世紀ごろの成立。
社会科学や現代文でポストモダンとか言われても、
高校数学はモダンですらない。
ベクトルと行列くらいか、モダンなのは。
学会から高校生向けのチラシが来たので、
生徒の目に付くように掲示した。
その隣にはロボット工学のチラシが。
新聞をひろげれば金融不安のニュースが。
どちらのこともよくわからない。
どういう仕組みなのか、どうすればよいのか。
高校時代の友人は、レインボーブリッジを建てた会社に就職し、
いまどこかの国で大きな建築物を建てているらしい。
ちょっとだけ、スケールがでかいことが羨ましい。
今の自分の仕事を誇りをもってやっている。
しかし、あるコミュニケーションの場で、
実はどれだけ「教育」に対して無知か、
ということを思い知られた(気がする)。
失礼だが、時代の流れに敏感で、
保護者の立場に立てる同僚でも「?」と思うことがある。
その直後、ふとした暇に「教育原理」のテキストをひろげた。
また、ペスタロッチが何を言ったとか、
デューイがこうしたとか、たくさん書いてあった。
あいかわらず、「で、なによ?」
学生も教える側の教授も、
もう少し丹念にその精神性を読み解く、
そしてそれが現実的にどういう意味を持つのかを考える、
そういう時間が必要だったのだなあと感じた。
大学の教職課程は、
「なるほど」と思えることが少なくてつまらなかったことも思いだした。
ヘタをすれば、教員免許も持っていない、
教育実習も行っていない教授が教えていることもその一因だろう。
一方で、古典の教育原理に書いてあったようなことを、
先日、外部のスタッフの方に教えられた。
「どれだけ待てるか。どれだけ気づかせてあげることが出来るのか。」
その引き出しを多くもつこと、
言葉や気持ちをかけてあげられるかが、
教育の本質ではなかったか?
それは私たち、現場の教員にしかできない、かけがえのない仕事である。
目の前の子ども達こそ、未来なのだから。
ハイテクの開発だけが、最先端科学ではない、とも気づかされた。