研修の帰り道、電車に乗りました。
電車の中吊り広告に、
「エンジニア業界の就職フォーラム」なるものがありました。
兄がシステムエンジニアで、
私も数学を専攻していましたので、
私自身、大学1年や2年生の前期ぐらいまでは、
3年からの専攻を応用数学や離散数学、
あるいは計算機(コンピュータ)数学などにして、
将来はエンジニアになって、
チャンスがあればシリコンバレーに行って起業しよう、
という、あまい夢見ていた瞬間もありました。
もちろん、以前書いたように一方で
不勉強の極みで大学を中退しようか、
と悩んでいたわけですから、
ほんと学生の頃の自分というのは、
バカでどうしようもありませんね、思いつきで生きていて。
ところで先週末の朝日新聞の朝刊別冊に、
MIT(マサチューセッツ工科大学)の石井教授の
エピソードが載っていました。
以前、たしかNHKスペシャルで取り上げられた、
ヒューマン=コンピュータ・インターフェイスの「タンジブル」。
それを見た衝撃は忘れません。
それが活字になっていた。ああ、感動(TωT)。
その手のエッセイが好きなので、
アメリカの大学院や研究所に行って、
研究活動に一日一日、ストイックに向き合って、
オリジナリティあふれた研究成果を残す。
それに成功した研究者の話。
その自分史の中で、あまりにも軽い学生時代の話。
「大学生・大学院生のときは何も考えていなかった。」
えっ、そうなの?
ノーベル賞を獲った田中さんとか、
偉業を成し遂げた人って、
若いときから独創的・創造的な思考の持ち主というか、
強い信念を持っているというか。
野球の野茂英雄にしてもサッカーの中田英寿にしても、
ちょっとやそっとじゃ世間並みにならないといういうか、
そういう図抜けたところがあるもの、
かと思ってましたが…。
まあ、日本で研究していたときの先輩のコメントによると、
やはり独創的ではあったようですね。
(そりゃ、そうだよな。)
いまさら他人の業績を羨ましがって、
いまの人生を後悔するようなガキではありません。
とにかく、いまは私にも打ち込みたいことはあるし、
それは仕事だし、それは生徒のためにも、
自分のスキルアップにもなる。
だからもう、研究者の卵がふ化したときのエッセイを探すのはやめて、
自分の授業と数学教育の研究に時間を割こうと思う。
自分がエンジニアにならずに、
やっぱり純粋数学を解りたいと思ったこと、
それでもやはり、観点を教育にシフトした研究をしたいと思ったこと、
はハッキリと思いだして良いと思う。
カタカナの職業に憧れていた時期はあった。
一攫千金をもくろんでいた時期は、最近まであった。
でも僕が教師になったのは、単純明快な理由だった。
それは思いだして、そして誇りに思って良いと思う。
先日、途中になってしまった、我が子たちに託すことは、
やはり同じ気持ちである。
「自分が未来のため、こどもたちのためにできることをしよう。
お金儲けがしたわけではない。
子ども達が笑顔になれるようなことをしよう。」
わが子たちにも、そういう職業に就いてほしい、と願う。
だから、今は精一杯楽しく。
楽しいことを伝えたい、世界が広いことを教えたい。
理由は単純明快でいいと思う。
電車の中吊り広告に、
「エンジニア業界の就職フォーラム」なるものがありました。
兄がシステムエンジニアで、
私も数学を専攻していましたので、
私自身、大学1年や2年生の前期ぐらいまでは、
3年からの専攻を応用数学や離散数学、
あるいは計算機(コンピュータ)数学などにして、
将来はエンジニアになって、
チャンスがあればシリコンバレーに行って起業しよう、
という、あまい夢見ていた瞬間もありました。
もちろん、以前書いたように一方で
不勉強の極みで大学を中退しようか、
と悩んでいたわけですから、
ほんと学生の頃の自分というのは、
バカでどうしようもありませんね、思いつきで生きていて。
ところで先週末の朝日新聞の朝刊別冊に、
MIT(マサチューセッツ工科大学)の石井教授の
エピソードが載っていました。
以前、たしかNHKスペシャルで取り上げられた、
ヒューマン=コンピュータ・インターフェイスの「タンジブル」。
それを見た衝撃は忘れません。
それが活字になっていた。ああ、感動(TωT)。
その手のエッセイが好きなので、
アメリカの大学院や研究所に行って、
研究活動に一日一日、ストイックに向き合って、
オリジナリティあふれた研究成果を残す。
それに成功した研究者の話。
その自分史の中で、あまりにも軽い学生時代の話。
「大学生・大学院生のときは何も考えていなかった。」
えっ、そうなの?
ノーベル賞を獲った田中さんとか、
偉業を成し遂げた人って、
若いときから独創的・創造的な思考の持ち主というか、
強い信念を持っているというか。
野球の野茂英雄にしてもサッカーの中田英寿にしても、
ちょっとやそっとじゃ世間並みにならないといういうか、
そういう図抜けたところがあるもの、
かと思ってましたが…。
まあ、日本で研究していたときの先輩のコメントによると、
やはり独創的ではあったようですね。
(そりゃ、そうだよな。)
いまさら他人の業績を羨ましがって、
いまの人生を後悔するようなガキではありません。
とにかく、いまは私にも打ち込みたいことはあるし、
それは仕事だし、それは生徒のためにも、
自分のスキルアップにもなる。
だからもう、研究者の卵がふ化したときのエッセイを探すのはやめて、
自分の授業と数学教育の研究に時間を割こうと思う。
自分がエンジニアにならずに、
やっぱり純粋数学を解りたいと思ったこと、
それでもやはり、観点を教育にシフトした研究をしたいと思ったこと、
はハッキリと思いだして良いと思う。
カタカナの職業に憧れていた時期はあった。
一攫千金をもくろんでいた時期は、最近まであった。
でも僕が教師になったのは、単純明快な理由だった。
それは思いだして、そして誇りに思って良いと思う。
先日、途中になってしまった、我が子たちに託すことは、
やはり同じ気持ちである。
「自分が未来のため、こどもたちのためにできることをしよう。
お金儲けがしたわけではない。
子ども達が笑顔になれるようなことをしよう。」
わが子たちにも、そういう職業に就いてほしい、と願う。
だから、今は精一杯楽しく。
楽しいことを伝えたい、世界が広いことを教えたい。
理由は単純明快でいいと思う。