今日の朝日新聞(朝刊)の「耕論」は教員採用試験の不正についてだった。
やはりというべきか、
大学の先生や教育アナリストの方の論というのは夢想的で、
システム改革や表面的なリセットで問題を解決しようというのが強く、
非現実的である。
それにくらべて、東京の教育委員会の経験のある方の批判は的を射ている。
日本の戦後民主主義教育の根幹として、
同時に輸入した教育委員会制度が機能していない。
また、
民主主義にはコストと時間がかかることをはっきりと述べている。
そうなのだ、民主主義は難しいのである。
もちろん、民主主義を否定する気なんて毛頭ない。
ただ、民主主義も、
その元での教育も、これほど難しいことはない、と思う。
しかし、その記事、もっとびっくりしたのは、
採用試験がらみの教育委員会の不祥事の場所(自治体)である。
北海道、徳島、山口、福岡、大分…。
唯一の例外は大阪という都市で起きたこと。
つまり、
東京(中央)から距離的に遠い地方で発覚した、
ということである。
だれもが、
「教員採用試験での不正はどこにでもあること」
と認めながらも、
事件として明らかなったのは、中央から遠いところのみ。
今回の大分の事件についても、発覚はタイムリーだった。
全国の教員採用試験の直前、
また生徒・児童・保護者にしてみれば夏休み前。
「人の噂も75日。」
未曾有の大事件も、北京オリンピックを挟み、
容疑者の娘という核心の人物の辞職によって、
御祓が済んだような社会状況になっている。
いったい誰がどんな目的で、
メディアと世論をコントロールしているのか?
気になるのは、ときおり新聞に掲載される「道州制」の記事。
市町村合併もそうだったが、
そのメリットとデメリットが天秤に架けられることがあっても、
本来の目的の是非について問われることは少ない。
だれがどんな目的で「道州制」としたいのか?
今回の教育委員会の不祥事の再発防止で、
そのシステム・組織の見直しがせまられるかもしれない。
非効率的で、地方の個人の恣意的なものとなっていたらまずい。
それを当然として、
中央の議論や方法が地方の末端まで浸透するような、
そのようなシステム作りを考え、
それが世論の合意を得て構築されるような手だてを
考える人がいても、それは不思議ではないだろう。
簡単に言えば、
特に教育において、
東京を見本とした上意下達のシステムづくりを進めたい。
民主主義は、コストがかかり、時間を要する。
また思ったように議論が展開されるとは限らない。
いつかの内閣の肝いりの市民と議論の場に、
サクラがいたことが問題となったこともありましたよね。
世論を誘導。
だれかが、どこかの国がそうであるように、
メディアをコントロールし、世論を誰かの思った方向へ誘導している。
今日、北京オリンピックが終わる。
ちょっと斜に構えた新聞などのメディアがステレオタイプに、
中国の報道規制や偽物文化を中傷しているが、
「人の振り見て我が振り直せ」。
この日本のメディアがコントロールされていないって、
誰が大きな声でいえるのか?
(そもそも、このブログだって怪しい。
ペタを残してくれる人はありがたい。
しかし、コメントをくれる人やアメンバーになりたい人って、
本当にいるのか?
期待してそのブログに飛んでみると、
とても個人が趣味で書いているブログとは思えない。
多くの人が利用しているというこのアメーバ・ブログ、
私の考えに対して、どんなリアクションがあるのかを期待して、
別のプロバイダから引っ越してきた。
しかし、アクセス数が突然多くなったり、
やたら携帯で見る人が増えたり。
そんなことがあるのだろうか?
そもそも、
このブログだけであれだけの広告を出すだけの収益があるものなのか?
アメーバ(サイバーエージェント)には、
どれだけの個人情報を知らせたかは分からない。
他のプロバイダでブログを書いていたときは感じなかった不信感が、
このアメブロにはある。
もしかしたら、このブログの連載自体も強制終了となるかもしれない。
そのときはみなさん、民主主義の危機だ
と思っていただいても良いと思います。
マンガ「20世紀少年」の読み過ぎではありません。
このブログには、不審に思うところがあります。
みなさんも気をつけて。)
やはりというべきか、
大学の先生や教育アナリストの方の論というのは夢想的で、
システム改革や表面的なリセットで問題を解決しようというのが強く、
非現実的である。
それにくらべて、東京の教育委員会の経験のある方の批判は的を射ている。
日本の戦後民主主義教育の根幹として、
同時に輸入した教育委員会制度が機能していない。
また、
民主主義にはコストと時間がかかることをはっきりと述べている。
そうなのだ、民主主義は難しいのである。
もちろん、民主主義を否定する気なんて毛頭ない。
ただ、民主主義も、
その元での教育も、これほど難しいことはない、と思う。
しかし、その記事、もっとびっくりしたのは、
採用試験がらみの教育委員会の不祥事の場所(自治体)である。
北海道、徳島、山口、福岡、大分…。
唯一の例外は大阪という都市で起きたこと。
つまり、
東京(中央)から距離的に遠い地方で発覚した、
ということである。
だれもが、
「教員採用試験での不正はどこにでもあること」
と認めながらも、
事件として明らかなったのは、中央から遠いところのみ。
今回の大分の事件についても、発覚はタイムリーだった。
全国の教員採用試験の直前、
また生徒・児童・保護者にしてみれば夏休み前。
「人の噂も75日。」
未曾有の大事件も、北京オリンピックを挟み、
容疑者の娘という核心の人物の辞職によって、
御祓が済んだような社会状況になっている。
いったい誰がどんな目的で、
メディアと世論をコントロールしているのか?
気になるのは、ときおり新聞に掲載される「道州制」の記事。
市町村合併もそうだったが、
そのメリットとデメリットが天秤に架けられることがあっても、
本来の目的の是非について問われることは少ない。
だれがどんな目的で「道州制」としたいのか?
今回の教育委員会の不祥事の再発防止で、
そのシステム・組織の見直しがせまられるかもしれない。
非効率的で、地方の個人の恣意的なものとなっていたらまずい。
それを当然として、
中央の議論や方法が地方の末端まで浸透するような、
そのようなシステム作りを考え、
それが世論の合意を得て構築されるような手だてを
考える人がいても、それは不思議ではないだろう。
簡単に言えば、
特に教育において、
東京を見本とした上意下達のシステムづくりを進めたい。
民主主義は、コストがかかり、時間を要する。
また思ったように議論が展開されるとは限らない。
いつかの内閣の肝いりの市民と議論の場に、
サクラがいたことが問題となったこともありましたよね。
世論を誘導。
だれかが、どこかの国がそうであるように、
メディアをコントロールし、世論を誰かの思った方向へ誘導している。
今日、北京オリンピックが終わる。
ちょっと斜に構えた新聞などのメディアがステレオタイプに、
中国の報道規制や偽物文化を中傷しているが、
「人の振り見て我が振り直せ」。
この日本のメディアがコントロールされていないって、
誰が大きな声でいえるのか?
(そもそも、このブログだって怪しい。
ペタを残してくれる人はありがたい。
しかし、コメントをくれる人やアメンバーになりたい人って、
本当にいるのか?
期待してそのブログに飛んでみると、
とても個人が趣味で書いているブログとは思えない。
多くの人が利用しているというこのアメーバ・ブログ、
私の考えに対して、どんなリアクションがあるのかを期待して、
別のプロバイダから引っ越してきた。
しかし、アクセス数が突然多くなったり、
やたら携帯で見る人が増えたり。
そんなことがあるのだろうか?
そもそも、
このブログだけであれだけの広告を出すだけの収益があるものなのか?
アメーバ(サイバーエージェント)には、
どれだけの個人情報を知らせたかは分からない。
他のプロバイダでブログを書いていたときは感じなかった不信感が、
このアメブロにはある。
もしかしたら、このブログの連載自体も強制終了となるかもしれない。
そのときはみなさん、民主主義の危機だ
と思っていただいても良いと思います。
マンガ「20世紀少年」の読み過ぎではありません。
このブログには、不審に思うところがあります。
みなさんも気をつけて。)