自分の闇が抉り出されるような出来事が連続した1年。

周りの状況によって自分の幸せが左右されるような、そんな幻想の中にいたことを思い知る期間。

完全に自分軸を失っていました。

そんな中模索するようにお遍路を歩いていました。

それはとても意味のある旅路で、自分再発見の旅でした。

それはそれでひとつの旅の形。


でも

違ったかんじで、ただ無為に、無目的に旅がしたい

 

ただ歩き、猫とふれあい、空を眺め、カフェコンレッチェをのみ、ワイン一杯とタパスを注文する。

1番自分らしい旅😊



去年から保留していた旅をしてみよう。


そんなタイミングでふと思い立ち、持っていることを忘れていたようなあるウォレットのトークンを覗いてみると、まとまった額(数ヶ月は旅できるくらい)に増殖していました😊

一昨年くらいまではこんな偶然のような豊かさがよくやってきていたな。
少しだけ流れも戻ってきたのかなあ。

とりあえず4月20日パリ行きの片道チケットを予約しました。

パリの美術館でびじゅチューンでもみようかなあ。


そしてルピュイへ行こう。

そこから無為に、のんびりと、時には猫と一緒に西に向かって歩こう🐈🐈

大聖堂の壮大な振り子をみよう

11年ぶりに大西洋を眺めながら瞑想しよう

自分を取り戻そう


 

昨年の10月から2ヶ月ほど四国のお寺をめぐるお遍路歩きをしました。


自分にとって歩くことはとてもワクワクすることです。

同時に、自分と対峙する貴重な時間になりました。

 


序盤から中盤は、比較的他のお遍路さんと会う機会が多くありました。

特に外国のお遍路さんが多く歩いていました。
 

はじめのうちは、色々と戸惑っている彼らの手伝いをしながら歩くことが多くなりました。


次第に彼らから、"優しく色々と助けてくれる” と褒められるようになりました。
そんなふうに持ち上げられることで、いつの間にかいい気になってしまいました。
普段は自信のない自分が、些細なことで褒められると簡単にいい気なってしまいます。

 

”優しい人” という仮面を被ってしまっていたようです。

次第に、そんなことでいい気になる自分にうんざりしました。

 

それは自信のなさの裏返しであり、自己肯定感の欠如でした。

同じようなパターンをこれまで幾度となく繰り返してきたのだと思います。

ただいい気になって、何も成長しないそんな自分の姿が浮かび上がりました。



このような巡礼路では自分の持っているパターンや癖が凝縮して現れます。

日々歩く中で、
それまでの人生のさまざまな出来事が浮上してきます。
つらかったこと、うまくいかなかったこと、人を傷つけてしまったこと。

 

同じ出来事を異なる視点で振り返る機会。
自分が対峙してきた状況を、相手側の立場になって振り返ることも多くありました。

 

多く場合は、自分の自信のなさであったり被害者意識が摩擦を引き起こしていました。
 

特に大きなものは、不機嫌な態度をとってしまい、それによって自分の気持ちを察してもらおうとする癖でした。
 

それは大いなる甘えであり、大切な人を傷つけてしまうもの。

さまざまな癖やパターンが、自分というエゴの中に散りばめられていました。

エゴは自分自身を欺こうとするので、つぎつぎと言い訳や正当化する理由を作り上げて、パターンを存続させようとします。

とても醜い自分。

その醜さから目を背けずに対峙しなければなりませんでした。
はじめは、ひたすら自分を責め、後悔して、自分を否定します。
とても辛い時間でしたが、それでは堂々巡りするだけでした。


そんなパターンを持っている自分というものを、批判をしないで受け入れることが、堂々巡りから抜け出す唯一の手段でした。

 

良くも悪くも、それしかできることがないようです。
自分のパターンに常に気がつき受け入れて、常に気づきという光で照らし続けていくことによって、変容をもたらすことができるのだと思います。

 


 

こんなプロセスを辿る中で、もうひとつのエゴの仮面にも気がつきました。

 

それはとても見抜くのが難しいのですが、”自分と向かい合っている自分”という仮面をかぶって、やはり自分を正当化するというパターンでした。

逆説的なのですが、自分と向かい合うという仮面をかぶることで、ある種の免罪符を得てしまい、結局同じパターンを繰り返してしまうのです。

 

 

このパターンに気がつくだけでも、エゴの仮面は緩んで行くようです。

少しずつ少しずつエゴのトリックに気がついてそれを見つめていく。

地道なプロセスの繰り返しによって、ゆっくりだけど着実に自己と対峙することができました。

 



 

かつて、特に江戸時代までは四国遍路はとても過酷な巡礼路だったようで、お遍路中に命を落とす人もいたのだそうです。

現在のお遍路は、コンビニや道の駅、民宿などもあり、物理的にはとても安全で死の危険に遭うようなことはありません。

 

ですが道中に自己と対峙することによって、象徴的なエゴの死を迎えることはできるのかもしれません。


これまでのエゴに感謝しつつ、あらたに生まれ変わっていく。







 

 

 

2022年

自分にとって色々なものが炙り出された一年でした。

 

自分の愚かさ、傲慢さ、自分の中で正当化して見ないようにしていたカルマ。

そういうものを改めて気が付く機会を与えてくれた一年でした。

 

そんな中、最後に唯一自分に残ったのは、改めての自分を見つめ直そうという微かな意欲なのかもしれません。

 

そして自分にとってその助けとなるのが旅と瞑想なのだと再認識しました。

 

今年は瞑想の教師になってちょうど10年の節目の年にもなります。

しかしながらこの10年瞑想教師や通訳という仮面を身につけることで、少しずつエゴを肥大させてしまった側面もありました。

 

これからも縁ある方には瞑想の伝授(近日中にサイトも復活させます)などをしていきたいと思っていますが、一人の未熟な瞑想者(あるいは迷走者)のスタンスで謙虚にシェアしていければと思っています。

 

 

今まで身につけてしまった癖やパターンを下ろしながら、改めて ”一無位の真人” として少しずつブログを書いていこうと思うようになりました。

 

どうかよろしくお願いいたします🙏