金曜日の夜に、久々に友人Mと再会し、飲んだのですが、彼が私のブログについて、コメントをくれました。


「内藤さ~ お前のブログ、いかにもお前らしいブログだけど、あれって会社のホームページにリンクする意味あんの? 人材開発を支援するのであれば、そのテーマも書いた方が良いと思うぞ~ お前、業界内でもレアなキャリアを持ってるんだからさ~」


M氏の言う通り、乱読した本や昼のラーメンの紹介だけではなく、企業内教育研修の支援会社として、きちんとしたテーマを書くべきと思います。そこで、誠に僭越ながら・・・


「企業内教育研修論」


というテーマで週イチくらいのペースで書かせて頂こうと思います。目標は年内完結で、来年の出版です(笑)。記念すべき第一回は、序章として「教育と研修」について論じてみたいと思います。


序章 「教育」と「研修」


さて、教育研修という言葉は、この業界にいれば1日1回は必ず聴く言葉なのですが、そもそも、「教育」と「研修」の違いってなんでしょうか? ハーイ、お隣の人と5分間、話し合ってください~


■本質的意味:教育と研修


「教育」とは、文字通り、「教え」「育む」ことを指します。つまり、主体が「教える側」「育む側」にあるわけです。「企業が社員を教育する」「管理職が部下を教育する」と使います。主語は企業側、管理職側になります。


「研修」とは、「研き」「修める」ことを指します。主体は「本人」にあるわけです。「(Aさんが)研修を受講する」と使います。主語は本人になります。


一般的には、教育とは「OJT(On the Job Training)」の時に使い、研修は「Off-JT(Off-the Job Training)の時に使用されています。「研修会」とは言いますが、「教育会」とは言いませんよね?

ただ、企業が社員を教育する、という場合は、Off-JTも含まれていることが多いため、教育の方がより包括的な意味合いで使用されていると言えるでしょう。


■教育とは何か?

「学校教育」という言葉はありますが「学校研修」という言葉はありません。「教育者」という言葉はありますが、「研修者」という言葉もありません。まあ「トレーナー」という言葉はありますが・・・


さて、次にお考えいただきたいのは、そもそも「教育」ってなんでしょうか?ハーイ、ご自身の意見を5分でまとめ、グループで10分間、ディスカッションをしてください~


「教育」とは当然、漢字で書きます。よって、その起源は中国にあるわけです。中国の「字書」によれば・・・


「教」:「上の施すところを下が効(ナラ)うところなり」とあります。要するに、大人が子供に、模範とされる行為・行動を伝達し、それを習得させること。


「育」:「子を養って善を成さしむ」とあります。誤った道に入らないように、あるいは誤った道に入っているのなら、それを善導して、徳を実践させること。


つまり、教育とは、善き模範、指導者が存在し、未熟な者に自らの姿勢を見せたり、手取り足取り教えたり、時には叱りつけて行動是正をさせたり・・・という、まあ親が子供を育てるようなことを指すわけです。

親が思っている「こうなって欲しいな~」という姿に子供を近づけるわけで、恣意的、作為的な意図が存在しています。

考えてみれば学校の教育も、先生の言うことが絶対、という「洗脳」に近いものです。企業内においても、「わが社の文化・価値観を教える」「企業理念を浸透させる」として、教育を行っています。

まあ、組織と言う共同体にいる以上は、ある程度の共通意識の形成は不可欠なわけで、その意味でも教育は本来、外部トレーナーなど頼らずに、企業内でこそ実施すべきで、企業内でしか実施できないものだと思います。



■研修とは何か?

「研修」という言葉、学生時代に聞かれたことってありますか?少なくとも私はありません。社会人になってから聞くようになった単語です。この「研修」という言葉、その成り立ちから解き明かしていきましょう。


研修という言葉がメジャーになるには、戦後になってからです。研修という言葉は元来、「研究」と「修養」という言葉を併せた法律用語なのです。戦前は、研修ではなく「訓練」という言葉を使っていました。今でも「教育訓練部」という部署がある会社もあります。


この「訓練」という言葉が、いかにも軍隊っぽくて、戦後は「研修」という言葉が使われ始めました。つまり、元々は、仕事を進めていく上で必要な知識、技能、スキルを修得することを指していたのです。

そう考えると、明治から始まった近代化の中で、企業が工場を設立し、工員たちを「訓練」していたころからの名残か、研修というと、とかく「やらされ」感を持って参加する人が多いのも頷けます。字義からみれば、主体は自分であるはずなのに、「やらされ」になっている、ここに研修のジレンマ、矛盾が存在しているわけです。


研修は職務上必要とされる知識・能力・スキルを修得することが本来的な狙いです。だからそこに、「気づき」など入る余地はないのです。だって、出来ないこと、知らないことを修得するのですから・・・


その研修が変質をしていったきっかけがあります。1969年に日経連労務管理委員会能力主義管理研究会は『能力主義管理-その理論と実践』という論文を取りまとめます。そこから、日本独自の人事管理システム「職能資格制度」が誕生したわけです。

折しも、高度経済成長でホワイトカラーが増加していた企業現場では、後輩が先輩より高い給与になりうる「職務給」の考え方には及び腰でした。年齢とともに職務遂行の能力が向上する、とされる職能資格制度は、日本の文化ともマッチングし、爆発的な普及を遂げます。さらに、QC活動やP・F・ドラッカー、1分間マネジャーなどなど、アメリカにおいて研究をされた経営管理システムやマネジメント、リーダーシップ論が日本的に意訳され、ここにホワイトカラー向けの教育研修プログラム「気づき」が誕生しました。


現在、企業内で行われている研修は


①気づきをベースとした研修・・・マネジメント,リーダーシップ,対人関係(コミュニケーション),キャリア開発等々(主に階層別教育に適用)

②スキルを修得する研修・・・マネジメントスキルトレーニング,ビジネスマナー,プレゼンテーション,営業面談スキル等々(一般社員向けカフェテリア研修など選択型教育、営業部門向けなど部門内教育で適用)

③知識・技能を修得する研修・・・生産現場で行われている「機械の操作方法」、「安全管理」、「セクシャルハラスメント等のコンプライアンス関連」、「財務会計」等々(技術教育部門や人事部主導の講習会など)


の3種類に分類されます。いずれも、多くの企業内で「集合研修」という形で実施をされ、年間莫大なコストと時間を費やしています。


企業は「教育」という名でOJTを行い、マネジャー1名あたり、年間で述べ数百時間もの機会損失を出しながら部下を育成し、さらにOff-JTという集合研修で、さらに多くの時間とコストを掛けているのです。当然ながら、その投資に見合ったリターンが求められます。


何故、企業はこれほどまでに社員の教育研修に力を入れるのでしょうか?


さて、長くなったので、今回はここまでにしたいと思います。次回は第1章として・・・


第一章 企業内教育研修の存在意義


について考えたいと思います。テーマが重いので、数回に分けられると思います。


(つづく)