これからの長い?短い?人生において87日間という
時間・日数は決して長くは無いと思う。
実際にその87日という時間をどう使うかによって、
人それぞれだろうし、有意義だったかどうかそれは誰にも分からない
正確には87日+αになるのだが、87日として考えてみる
------------これから先は、自分が忘れないように、忘れたくないという気持ちで------------
------------備忘録代わりに下記に記す物である。 ------------
これまでの自分は、朝起きて弁当を作る。
たいした物では無いが、だしまき卵の手作りは必ず入れる。
他は冷凍の物を油で揚げたり、フライパンで炒める。
自分なりに作った弁当を、自分で必ず採点をしていた。
今流行の弁当男子、かっこいいとかっていう訳ではなく
自分の場合には「経済的に」節約をする為にやっていた。
※勿論、水筒も2つ持参し、会社用、移動用と使い分けていた。
その後、約40分かけて会社へ行く。
そつなく会社の業務をこなす。
やることがあればたまに残業し、アパート着が10時過ぎ
それから食事の用意をする。(たまにコンビニ弁当だが・・・)
これが月→金まで繰り返され、時には突発的な作業に追われ
深夜まで作業が終わらないこともある。
そんな生活で87日なんてあっという間に過ぎていた。
今になって思えば、4月は割とそんな生活が続いていた。
気がついたのは4/17(土)、まだそれほど酷くはなかったが、
4/18(日)体が怠く、何をしたいと言うことも無くただ眠りたかった。
眠ったがこの体の怠さが抜ける事は無かった。
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4/19(月) 会社へは普通に出社、しかし体に異変を感じる。
それは二日前に感じる異変よりあるかに増幅している事が分かる。
早速早退し病院に行くことを選択、持病持ちのため行きつけのクリニックへ
足を運んだが、血液、尿検査ともに数値は正常。
これ以上ここでは原因が特定出来ない為、大病院へ招待状を頂く。
その日の夜、体の怠さがさらに悪化する。
深夜の段階で、救急車を呼ぶかどうかの判断をするが思いとどまる。
実家から離れている場所に住んでいる為、万が一アパート周辺での
入院は何かと不便と冷静に考え、実家近くがいいと判断し一日我慢。
4/20(火)
朝の目覚めは悪く無かった。
自分では何も変わっていない、、、そう思っていたのだが
着実に自分の身体は動きを失いかけていた。
ジャージからデニムに着替える際、あろう事かふらつき、壁にもたれた。
足が思うように入らずにふらつく、そんな状態ではない。
足を入れようとしても自分の足が、いうことをきかなくなっている。
なぜだ!?っと思いつつも病状が分からないため、ふらつきながらも着替える。
アパート2階からゆっくりと降り、車まで何とか到着。
車のRECAROシートへ腰を下ろしただけで、その時の自分はホッとしていた。
到達出来た事への喜びだったのだろうか・・・ 今となってはわからい。
約40kmの道のりを自分の運転にて走破し、紹介状先の病院に到着。
朝はよろけながら歩けた筈の自分の足が、車から降りた途端に
足かせをつけられ、重しをつけられた罪人の様に足が重かった。
受診受付に行こうとした段階で、受付案内のおばちゃんが感づいてくれた
すぐにそばに近寄ってくれ、自分からカード、紹介状などを受け取ってくれ
代わりに手続きを行ってくれたのだった。
その日から今日までの87日+αの日々が始まる。

