弘安5年(1282年)9月8日、大聖人は、弟子たちの勧めで常陸国(茨城県北部と福島県南東部)へ湯治に行くとして、9年住まわれた身延山を発たれました。
その後、武蔵国池上(東京都大田区)にある池上宗仲の屋敷に滞在されると、後事について種々定められました。9月25日には、病を押して、門下に対し「立正安国論」を講義されたと伝えられています。
そして弘安5年(1282年)10月13日、日蓮大聖人は池上宗仲邸で、「法華経の行者」として生き抜かれた61歳の尊い生涯を終えられたのです。
大聖人御入滅後、日興上人はただ一人大聖人の不惜身命の広宣流布の精神と行動を受け継がれました。
また広宣流布の継承者の自覚から、謗法厳誡の精神を貫き、国主諌暁を推進するとともに、大聖人が著わされたすべての著述を『御書』として大切にされ、末法の聖典と拝して研鑽を奨励し、行学の二道に励む多くの優れた弟子を輩出しました。
