開目抄(カイモクショウ)
『般泥洹経(ハツナイオンキョウ)に云く「善男子過去に曾(カツ)て無量の諸罪種種の悪業(アクゴウ)を作るに是の諸(モロモロ)の罪報は或は軽易せられ・或は形状醜陋(ギョウジョウシュウル)・衣服(エブク)足らず・飲食麤疎(オンジキソソ)・財を求むるに利あらず・貧賤(ヒンセン)の家邪見の家に生れ・或は王難に遭い・及び余の種種の人間の苦報あらん現世に軽く受るは斯(コ)れ護法の功徳力に由るが故なり」云云、此の経文・日蓮が身に宛(アタカ)も符契(フケイ)のごとし狐疑(コギ)の氷とけぬ千万の難も由なし一一(イチイチ)の句を我が身にあわせん、惑被軽易(ワクヒキョウイ)等云云、法華経に云く「軽賤増嫉(キョウセンゾウシツ)」等云云・二十余年が間の軽慢せらる、或は形状醜陋・又云く衣服不足は予が身なり飲食麤疎は予が身なり求財不利(グザイフリ)は予が身なり生貧賤家は予が身なり、惑遭王難(ワクゾウオウナン)等・此の経文疑うべしや、法華経に云く「数数擯出(シバシバヒンズイ)せられん」此の経文に云く「種種」等云云、』(232ページ)
【通解】
般泥洹経には次のように説かれている。
「善き弟子たちよ。過去世に無量の罪や種種の悪業を作ったとする。その罪の報いは、あるいは人々に軽蔑される。あるいは醜い容姿となる。衣服も不足し、食べるものは粗末で、財を求めても得られず、貧しく賤しい家や邪見の家に生まれる。あるいは国主による難に遭う。そして、その他さまざまな苦しみの報いを受けるであろう。現世において、苦しみの報いを軽く受けるのは、正法を護持する功徳の力によるのである」
この経文は、日蓮の身に全く符合している。これによってなぜ難に遭うのかという深い疑いがとけた。千万の批判も無意味である。経文の一つ一つを、我が身に引き合わせてみよう。
「人々に軽蔑される」とあるが、法華経には「軽んじ、卑しめ、憎み、妬んで」(譬喩品)と説かれている。私は二十年あまりの間、軽蔑されてきた。「あるいは醜い容姿となる」、また「衣服も不足し」とは私自身のことである。「食べるものは粗末で」とは私自身のことである。「財を求めても得られず」とは私自身のことである。「貧しくて賤しい家に生まれる」とは私自身のことである。「あるいは国主による難に遭う」との経文をどうして疑うことができるだろうか。
法華経には「たびたび追放されるであろう」(勧持品)と説かれる。この般泥洹経には「その他さまざまな苦しみ」と説かれる。