折伏教典 P.313には、戸田先生より


「『本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇』という順序が、大聖人の仏法流布の段階であることは、三大秘法抄に明らかである。」
                                  

 と、あります。


 中でも『本門の本尊』について、


"たとえ日蓮大聖人のご真筆であったとしても、功徳がないものもある"と御指導されている部分があります。










この御指導の後、
天魔・日顕の毒に染められ日蓮大聖人の仏法に違背し、邪宗門と化してしまった富士大石寺の大御本尊も、『本門の本尊』とはかけ離れたものになってしまいました。


  また、腐敗堕落の元である
              誤った血脈観について
        (=法主が絶対であるとする考えがある)


 ※日顕宗が、僧俗の平等を真っ向から否定する背景には、江戸時代を中心に日本の仏教が葬式仏教化し、
檀家制度が普及したことが挙げられます、僧侶は信者を支配し、隷属させ、信徒も僧侶に依存し、自身の仏道修行を完全になおざりにしてしまったのです。


檀家制度の弊害を体質として深く残している時代錯誤の集団が日顕宗です。
相続差別義は、その象徴です。


宗門は、僧侶による葬儀が成仏のために不可欠であるなどと主張していますが、そのようなことを大聖人は一切言われていません。

むしろ、『過去の慈父尊霊は、存生に南無妙法蓮華経と唱えしかば即身成仏の人なり』(ーー亡くなった御尊父は、存命中に南無妙法蓮華経と唱えたのですから、即身成仏の人なのです)等と仰せのように、
各人の成仏は、生前の信心・
実践によることを強調されています。