森を切り裂くように疾る。
 風の音がする。
 木々を震わせ森を駆け抜ける男は哂っていた。
 思わぬところで目的が果たせるかも知れないから。
 今行くまでもないことかも知れない、だが身体は行くことを望んでいた。
 理由は判らないが、恐らく大気の震えに腕が疼くからだろう。
 何にしても混乱している状況の方が仕事への支障は遥かに軽くなるのだ。
「――」
 段々と地響きが大きくなる。
 音の発信源に近付いている。
 恐らくは眼前の木々の茂みのすぐ向こう。
 深く重なり合う木々の向こうで、男の目的の為に、何とも都合良く生命を競う戦いが行われている――
 男は哂っていた。




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「地震!?」
 木々が、地面が揺れる。
 遠くからまるで火薬が爆発するかのような音が響いてくる。
 ――違う。
 これは地震なんかじゃなく、何か、そう、竜巻のようなものがすぐ近くで――
「レナード、これ……!」
 ブルーは眼を見開いてレナードに振り返る。
「ガスパだ。ミルズさん達の進んだ方から」
「じゃあ、ミルズ達が襲われてるのか!?」
 ブレイズがレナードに詰め寄る。
「音の方角からして、まず間違い無いだろうね。
 ……どうする?僕は行くけど、二人はここに残る?」
 そう話している間にも音が強くなる。
「――俺も行く。この為に来たんだから」
「ミリアムとラッシュもいるんだから隠れてられるわけないじゃない。
 早く行こう」
 二人は迷わずそう言って、音の聞こえてくる方角に走る。
 走り出した二人を見たレナードもまた走り出し、すぐさま二人を追い抜き先行する。
「二人とも後ろから続いて。そうすれば少なくとも即死はしないで済む」
 追い抜き際に二人に視線を向けレナードが言い残す。
 そしてそのまま道を切り開くように疾走する。
「ミリアム……!」
 ブレイズは木剣を強く握り締め、遅れまいと全力でレナードの背中を追った。




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 森の中を歩く。
 充満した樹液の匂いが少し息苦しい。
 勾配の激しい山道ほどでは無いが、舗装されていない森の地面は少しずつ体力を奪ってゆく。
 ブレイズ達と分かれてから二時間。
 以前、ミルズ自身が件のガスパを目撃した場所はとうに通り過ぎ、後は経験と直感でガスパを探しながら泉に向かうのみ。
 ただ、森に入った頃より立ち込めている霧と木々によって陽光が遮られている為に、どうにも方向感覚が怪しい。
 ブレイズ達ほどでは無いが、少なくとも地図無しで泉まで歩くには問題無いだけの経験はある。
 だが視界が遮られている為に一向に先が見えず、泉までの道順が正しいかどうか確証が持てないのは堪える。
 恐らく並んで歩くラッシュとミリアムも同じような事を思っているのではないだろうか。
 日頃から鍛えている分、この程度の状態の獣道なら一日歩き続けたところで問題は無いが、精神面の疲れは気付かないうちに予想以上に体力を奪ってゆくものだ。
 いつもと同じように進めているとするのならば、泉まであと一時間ほど。
 その時になって泉に到着していない場合、更に悪く言えば、もしもまったく見たことの無い場所を進んでいる等と言う状況に陥った場合、自分は問題無いとしてラッシュとミリアムが今と同じようにこの状態の森を歩いて行けるかどうかは定かでは無い。
 体力的な限界は心配する事では無いが、平静を失った精神では些細な問題も見過ごせなくなるだろう。
 通常、登山では水分の補給、身体のチェックは万全でなくてはならず、果ては踏み出す足が右か左か、次に手を掛ける岩肌が一ミリ浅いか深いかの判断を求められる。
 とは言え森の移動はそこまで困難なものでは無いが、森は森で山とは違う危険を孕んでいる。
 大きなものでは方角の見失い、現在地の不詳等である。
 更に、そう言った遭難する危険性も然ることながら、森に生息する動物との遭遇は、何より直接的に命に関わる。
 人間の手の付いていない地域には当然野生の獣がテリトリーを張っている。
 この手の道行きで獣に襲われる時と言えば、大抵が彼らの領地を侵犯した時だ。
 無遠慮にテリトリー内を歩き回るのは襲ってくれと言っているようなもので、一見真っ直ぐな獣道でも大きく迂回しなければならない時がある。
 幸い、この森には毒をもった蛇の類は生息していないし、何より大方の動物のテリトリーは知り得ている。
 問題は狭められた視界ゆえに、判断が鈍っていると言うことだ。
 時折見受けられる野犬のものと思われる屍骸が、更に判断を鈍らせる。
 やはり想像通り野生のはぐれガスパなのだろうか。
 見るからに何か潜んでいそうな茂みは迂回して、安全を確認出来てから詳しく調べ、その上で記憶に従い泉を目指す。
 危険に遭ってから逃げることを考えるのでは無く、そもそも危険な場所にはおいそれと近寄らずに、慎重を期してから探索する。
 それがこのような道行きでの絶対条件である。


「……ミルズさん。やっぱり今日の森はいつもと違うよ」
 すぐ横にいるミリアムが辺りを見渡しながら言う。
 確かに肌で感じる威圧感が違う。
 と言うより、一歩奥に進む度に、背筋に嫌な痺れが走る。
 この先に進むな。
 今すぐ森から引き返せ。
 進む者は何人たりとも生きては帰さぬ。
 風で揺れる木々が、そう囁き掛けてくるように感じる。
「――この匂い。
 二人とも待て。俺の後ろに来い」
 霧の強さも相まっていつもより強い樹液の匂いに隠れていた獣臭。
 野生のガスパ特有のすえた血の臭い。
 ミルズは鞘から剣を抜き放ち、数メートル先の茂みに意識を集中させ、数分待つ。
「――二人とももっと後ろに下がれ。
 茂みに隠れてろ」
 村人の知る内では、ディビール村の警備兵で最も屈強な戦士ミルズの言葉にラッシュとミリアムは無言で従う。
 二人は後退する際にミルズの背中を力強く見る。
 何も言わぬ筈の背中は二人の視線以上に力強かった。
 茂みの向こうから空気のざわめきが来る。
 耳を澄ませば枝ずれの音に混じって、荒い呼気も聴こえてくるようだった。
「――」
 ――来る。
 それは茂みの奥から、迷うこと無くミルズに向かって来ていた。
 剣を振り上げる。
 両腕に渾身の力を、柄を握る両手には僅かな力を込めて、剣を上段に踏み留める。
 茂みが割れた。




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「正午くらいに入ったから、泉まで大体二時間。ミルズさん達と合流して村に戻ると夕飯時くらいかな」
周囲を見渡しながら、のんびりした調子でレナードは言う。
 ベルトにナイフをぶら下げただけの軽装。
世に言う旅人らしいと言えばそうなのかも知れないが、場所が野生のガスパが巣食う場所なだけに些か軽装過ぎる格好だった。
ブレイズはそんなレナードの姿を不安気に見やりながらも、先ずは一番最近に件のガスパを目撃した場所に向かうべく歩を進めていた。


 一時間程前、アンティに見送られながら、一行は二手に分かれ、森に踏み入った。
 ミルズはラッシュ、ミリアムを連れ左手へ、ブレイズ達はブレイズを先頭にブルー、――楽しそうだからと言った理由で付いてきたレナードと続き右手へ。
 そうして探索を始めた。
 ブレイズの荷物は腰に挿んだ木剣と、背嚢に詰め込んだ軽い食料と水のみ。
対してブルーは木剣の代わりに嗜みのある槍(研ぎの無い木柄の物)を片手に、背嚢には食料、水に加え、捻挫、切り傷擦り傷等軽傷の治療が出来る簡易応急処置セットを詰めている。
 応急処置セットについては女の子らしさとも受け取れるが、その実、かつてニーラ国軍医として活躍した父の教えを享け、医術にもまた嗜みがある為に持ち込んでいるのであった。
 互いに地図、コンパスと言った、探索に必須であるはずの物は持っていなかった。
 もともと馴染みのある森なので必要が無い為、更に探すべき対象が場所ではなくガスパである為でもある。
 つまり頼りになるものと言えば、ブレイズが見た記憶と、経験、直感だけなのだ。


 そうして三人は黙々と森を進んでいた。
 ブレイズは、以前ガスパを目撃した場所の付近に着いたら、そこからはやや散開しつつ、じっくり探索しながら泉に向かおう、と提案し、二人もそれに異論を唱えることはなかった。
――上手く行けば泉に着く前に発見出来るはずだった。
泉に着いた後は、ミルズ達と話し合って決めれば良い。
 森の入口から離れて一時間強。
 馴染みのあるはずの森は、昼日中だと言うのに朝靄の如く白ばんでいた。
 立ち込める霧と背の高い木々によって遮られた陽光が、森からも人間からも時間の感覚を奪っていた。
 今までに見たことの無い森の表情だった。
「…平気なの、これ」
 今更、とは思ったがブレイズの無鉄砲さに呆れながらブルーがぼやく。
 実際、誘われた時は面白そうだと思っていたから迷うこと無く行くことにしたのだが、こうもなっていると流石に不安にもなる。
「そういう事言うな。冒険なんだから当たり前だろ」
 ブレイズ自身も不安がよぎったのか、気を入れ直すように力強く返す。
 その言い方からブレイズの心中を読み取ったのか、ブルーはそれ以上煽りはしなかった。
 そうして再び沈黙に包まれる。
 地面を踏みしめる湿った足音、木々のざわめき、遠くから僅かに聞こえる獣のいななき以外の音は無かった。
 ふと、ブレイズは眼を閉じ、深く呼吸をする。
 野獣の多い森の中、視界は狭まり、目標位置も不明。
 記憶した森を再現し、記憶したガスパを経験と直感で探る。
 その行為が全て、自らの戦士としての才能と適正を問うているのだと考えれば、不安は無くなった。
 そして再び森の中を歩いた。




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 窓から差し込む柔らかな陽光に身を包まれながら、その甘美なまでの心地好さに微睡み、ミリアムは己の心の内を覗いていた。


 もしも、この村で生まれ、この村で死んでいけるのだとしたら。

 そうしたら、それはどれだけ素敵なことだろう。

 村をまたぐスタイド川の桁橋を何度渡るだろう。

 ――ラッシュはいくつになっても橋を渡るのを怖がるのかなぁ。

 川の南に広がる牧草地をどれだけ歩き回るだろう。

 ――ブルーは羊の世話をさぼらなくなるのかなぁ。

 北に広がるディビールの森をどれだけ歩き回るだろう。

 ――ブレイズはいつか森に住むようになっちゃうんじゃないかなぁ。


 もしも、この村で生まれ、この村で死んでいけるのだとしたら。

 そうしたら、きっと私は感謝するだろう。

 私を育てたこの村の、この教会で。

 私では無い、他の誰かに。

 私と同じように想い、叶えられずに生きる、他の誰かに。


 そうして物思いに耽っていると、いつ隣に来たのだろうか、――まだ乳飲み子だった頃に、戦で両親を失ったミリアムの育ての親、アンティ・クープルがミリアムと同じように窓辺に腰を掛け、同じように村を眺めていた。

 優しげなアンティの横顔をミリアムはまじまじと見つめ、まるで童話に出てくる優しいお母さんを絵に描いたような人だなぁ、とそんなことを思った。

 その視線に気付いたアンティは、その視線の意味をどう受け取ったのか、「あなたも一緒に行きたいんでしょ?」と、眉根に皺を寄せ、それでも優しい声で問いかけた。

 十数分前、森に遊びに行こうとミリアムを訪ね誘ったブレイズの話なのだろう。

 そう問われミリアムはアンティから視線を外し、窓の外を眺め、考える。

 ブレイズはいつもの調子でミリアムを誘いに来た。

 いつもなら何の迷いも無く誘いを受け、ついて行っていたはずだった。

 だが、ミリアムはその時返事を出来なかった。

 今の自分は、自分だけの判断で動いてはいけないと思ったから。

 それでも自分の境遇を恨めしく思えないのは不思議だったが、結果ミリアムは森に行かない方が良いのだろうと考えていた。

 ミリアムからの返事が無いことを意外に思ったのか、アンティはミリアムを見つめたまま優しく微笑む。

「そんな風に難しく考えなくて良いの。行ってきなさい。

 今日までは、みんなと一緒なんだから」

 その言葉が厳しい現実を突きつけるものであっても、アンティにはそうすることしか出来なかった。

 せめてこの村で過ごす最後の時まで、ミリアムには笑っていてもらいたかったから。

 そうしたアンティの心情の全てがミリアムに伝わったわけでは無い。

 ただ、それでもその言葉はミリアムの背中を押し、迷いを打ち消した。

 明日からの自分が今までとは違うものになろうとも、今日この日までは、今までと何も変わらないままでいれる。

 厳しい現実に向き合うからこその喜びだったのだろう。

 ミリアムはそれがたまらなく嬉しかった。




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