Gスピリッツ最新号

新間寿氏と添野義二師範との対談後編

 

新日本プロレスと極真会館の関係史で、まだまだ語られてない事実も

ありそうです。

 

今回の添野師範の発言のなかで、ハシム・モハメッド選手の話。

アントニオ猪木挑戦を賭けた試験マッチ第2戦(ハワイ)で負けたために対戦立ち消えたことになってます。

 

この試合を報じたのは週刊ファイトと現代カラテマガジン(私の知ってる限りですが)

後者はすぐにでてこないので週刊ファイト(1982.4.27)に書かれている記事を参照して書いておきます。

 

試合は 1982.3.30  

場所はハワイ・ホノルルのNBC(ニュー・ブレジデル・センター)

対戦相手:ハワイ・マーシャルアーツ ヘビー級選手権者 ダド・グッドソン

 

当初、太平洋ヘビー級選手権試合(いきなり?)で行われる予定であったが

ルールの折り合いがつかず、梶原一騎大会委員長の裁定で、勝敗をつけない無判定のエキジビジョンとして行われてたとのことです。

試合内容は1Rにストレートでダウンを取れらたものの2R、膝蹴りで2回ダウンを取り返した後は、スタミナ切れが顕著で劣勢だったとのこと。

 

この試合で猪木挑戦は立ち消えとなったのは事実ですが、記録上は、「負け」てはいないということにはなります。添野師範の目には「負け」とみられたのでしょう。

 

後、前編ででてきた、新日本プロレスの極真大会への参加申し込みの件

第1回世界大会への参加申し込みのように語られていましたが、私は

第6回全日本(あるいは第5回)だと思っていました。

(KAMINOGE最新号の前田日明氏のインタビューも新間氏から第1回世界大会のときと聞かされたと述べられています。)

 

この件、私が知ったのは、かなり後になって週刊ファイトの読者投稿欄でした。

最初に公表されたソースはわからないままでしたが、少し前にどなたかのツイッターかブログで東京スポーツ紙上の猪木と大山館長の電話会談で過去の話として語られていたと思います。(すみません。私の記憶です。PCには記録していたはずですが

少し前にクラッシュしてデータ潰れてしまいました。)

いま一度検証してみたいと思っています。

以前ブログに書いた記憶ですが、少年マガジン掲載の広告の復刻図書のなかで

第5回全日本大会の広告があり、そこには”プロレスラー”参加募集?の表記がありました。