認めて欲しかった | 鬱病を乗り越える -毒親からの解放-

鬱病を乗り越える -毒親からの解放-

鬱病が快方に向かい、前向きに生きるために気付いたことなどを書いています。
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私は両親共に誉められた記憶がありません。

逆に担任の先生や習い事の先生、友達のお母さんに誉めてもらった記憶の方がずっと多かったです。

それだけじゃなく物心付いた時から存在を無視されることも少なくなかったので、そのせいかな…かなりイイ年齢になった今でも承認欲求を拗らせてます。

どんなに勉強が出来ても、賞を取っても、習い事頑張っても、学級委員になっても無視。

母の気を引くために難しいことにチャレンジすることを宣言して実行することも少なかったです。

難しい志望校に推薦入学しても具体的に誉められませんでした。(代わりに制服代や入学費がすぐに用意出来ないなど、不安ばかりでした)

母も仕事が忙しかったと思います。

でも一言「やったね、次も頑張ろう」とか誉めて欲しかったな。

父も私のテストの順位が良くても「その程度か(俺はもっと凄かった)」それだけです。


それだけじゃありませんが、高校生で不登校になった辺りから心がどんどんおかしくなって、その頃には自分の実力を伸ばしたい、認められたいという気持ちと、疲弊した精神でもう頑張れなくなった頭と、どんどんバランスが取れなくなっていました。

最近、少しずつ資格の勉強を始めて、将来について考えることが増えたのですが、どんな自分になれば満足に生きられるのかがわかりません。

世間に認められるような人間にならなければ意味が無いと考えがちです。

そんな誇大妄想みたいな考えは、多分、根っこに両親に認められたい、誉められたいって気持ちがあるんだろうなぁと思います。

次は不登校になった時の頑張りたいけど頑張れなかった悔しい気持ち。

同級生は目標に向かって勉強をしてるのに、私は学校へすら向かえなかった。
玄関で足が止まって、学校へ行けなかった。
何とか学校へ行く方へ行こうとしても目眩がして、それ以上体が動かなかった。
教科書すら開けなかった。

それでも両親は関係なく過ごしてました。

母に至っては暴力を振るい、私をいじめて学校を辞めさせるように仕向ける始末。



もう20年近く昔の話なのに、私の人生設計はあの時から止まったままです。


もっと上を目指したい。現状維持は嫌だ。と、焦る気持ちでいっぱいになります。

でも、今は目の前にあることを一つ一つこなすしかないんですよね。

減薬しながらなので、ゆっくりですが、少しずつハードルを上げつつ、確実にこなしていけば、いつか道は開けますよね…

そう信じたいです。