大阪の「国歌起立条例」について。
私にとって「国歌」は、大した意味を持ちません。
勿論小学校から今に至るまで、入学式や卒業式など、
節目節目で斉唱しましたし、国歌の伴奏をした経験もあります。
しかしだからといって、私が愛国心を抱く立派な日本国民かと言われると、
残念ながら(?)答えはノー、です。
そして恐らく、伴奏をした私を見て、
「あぁ、この人は立派な日本国民だなぁ」
と思った人もそういないと思います。
…というか、皆無に等しいでしょう。
つまり、国歌を斉唱しようがしまいが、
言葉は悪いですが、その程度で個人の内心がどうとか言うのは、
いささか大げさかなぁ、と思うんですよね。
だから、そもそも「国歌起立条例」が必要だったかどうか、
というのも正直私は疑問です。
起立したところで内心の自由が保障されるとすれば、
別に起立しなくても当然内心の自由が保障されるわけですし、
つまりどっちだって良いわけです。
しかし、現にこうした条例があるわけで、
それが規則として存在する以上、
それは遵守されなければなりません。
仮に多少の不満があったとしても。
そして学校が教育の場である以上、
規則というものを、まして教える立場の人間が、
破るわけにはいかないでしょう。
率先してルールは守るためにあるものと教えるのですから。
だから、和泉高校での国歌斉唱問題のニュースを見た時、
なぜそれほどまでに騒ぎ立てるのか、
いまいち理解ができませんでした。
国歌は起立して斉唱しなければならないというのであれば、
それを遵守しているか確認する必要がありますし、
その方法として、教員の口元を見るという方法は、
きわめて妥当だと私は思いました。
その方法がやりすぎだというのであれば、
代替案を提示すべきだし、
そもそも条例のなかにその確認方法が明示されてない時点で、
この条例はあまりにも曖昧すぎる気がします。
批判するにしても、ただ漫然と批判するのではなく、
その代替案を提示してこそ、意味のある議論につながるのではないでしょうか。
「国歌起立条例」、私はそもそも必要ないと思いますが、
出来てしまった以上は、きっちり守るべきものだと思います。
それにしても「君が代」って歌うの結構難しいですよね。
変声期には高音域が出なくて苦労した覚えがあります。
特に「こーけーのー」の「の」は死にそうでした。
声が届かなくて歌えないのは、セーフですかね?