そして面接が始まった。

何名いたかは覚えていないが集団面接だったことだけは覚えている。

そして、東と西に分けて若干名ずつの募集ということだった。

僕はどちらでもよかったのだが、東の方は応募が殺到しているとのことで面接官の一人が、「西でいいならおれが面倒見てやる」と言ったので西でお願いすることにしました。

西というのは鈴鹿サーキットの事でその面接官の方はスーパーGTなどで活躍するドライバーさんなども多く輩出している老舗のレプリスポーツというレーシングチームの舘代表でした。

面接後、しばらくして合格の通知が届き、契約の為レプリスポーツ様へ足を運びました。

説明後に契約書に印鑑を押し、レーシングスーツなどの試着をしました。

初めて袖を通すレーシングスーツ、とても緊張しました。これからこれを着てサーキットで練習するんだな、と実感しました。

そして翌日、先述した舘代表が一緒に不動産会社を巡ってくれて住む物件を探して回りました。

ここまでして頂けるとは思ってもみなかったので本当にありがたかったです。

そしてこれからいよいよ練習走行が始まっていきます・・  

インターネットでレースの始め方をしらみつぶしに探していた結果、いくつかのスクールを見付けた。

しかしそうはいってもモータースポーツ。たくさんのお金を要することに驚きを隠せません。

そんなこんなで時間だけが過ぎていき・・気付けば21歳になっていました。

その間、友達にレースをしたい、どのスクールに行ってどんなレースをする、そんな夢だけを語っていました。

そんな僕に転機が訪れました。

それは、ENDRESSという自動車部品メーカーのワークスドライバー募集のオーディションがあるという記事を発見したのです。

すぐさま資料請求、しかしどう考えても資金が足りません。でもどうしてもやりたい、これだけはどうしても受けたい、そう悩みに悩んだ僕は、

大反対されることを解っていながらも藁にも縋る思いで父親に泣いて土下座して頼み込みました。まったく情けない話です。

言っていることなんて無茶苦茶だったと思います。それでも必死でした。

そして、あれだけ大反対の父親が「最初で最後だぞ」と言って契約金の分の額だけ貸してくれました。今思えば父もお金に苦しんでたと思うので大変申し訳なく思います。

ですが、そのお陰で念願のレースの世界に飛び込むことになります。

まずは、オーディションの為の面接を受けに東京・池袋まで出向きました。  

幼い頃から”危険だから”という理由で両親からテレビなどで流れているクラッシュ映像等を見るたびに「危険だからレースなんて絶対にするなよ」と言われて育ちました。

当時からそれ程興味あったわけでもなく、むしろサッカーの好きな少年でした。

中学に上がり三年になった頃、クラスに馴染めず次第に学校に行かなくなることが多くなりました。

そしてその頃深夜まで起きるようになり、たまたまその時テレビ放送でしいてF1GPを観て”すごい世界だ”と衝撃を受けたことが今の僕の原点だと思います。

それから高校に上がり普通に高校生活を送り、友達らとゲームやサッカーばかりをして過ごし高校を卒業後、運転免許を取得し運転することの楽しさを覚え、
長年観ていなかったF1放送を再度見始めました。

いつしか自分にも出来ないだろうかと思う様になり当時貰い物のパソコンが家にあったのでインターネットで夢中になって調べた。

そうした中で色々とレーシングスクール等があることを初めて知ることに。

そしてそれが後に思い切ったことをする事に繋がっていく・・