青春パンクについて | ザ・マスミサイル唄姫よっくんのブログ「新・空を見上げたら眉毛が見えた」

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ザ・マスミサイルの唄姫・よっくんこと高木芳基のウェブログ、略してブログです。ツイッターに脅かされつつあるブログ、今こそ書いて書いて書き綴りまくらねば!

少し長くなるがどうか最後まで読んでくれ。


今日は青春パンク復活祭。


郡山#9の10周年イベントだった。

セットリスト

1キーポイント
2青春パンクでGO!
3雑種
4仲間のうた
5今まで何度も
6教科書


「青春パンクってなんだったの?」


俺らの世代はみんな思ってることだったはずだ。


今じゃすっかり淘汰されてしまった言葉かもしれない。


でも実は青春パンクという言葉ができたのには理由がある。その言葉を作った人もわかってる。


CD屋さんだ。

CD屋さんが、俺達のようなバンドをひとくくりに展開しやすいようにジャンル、呼び方を作りたかったんだ。例えば100円ショップだって、キッチン回り、生活雑貨、インテリア系、等、区分けされてるとお客さんが商品を探しやすくなるでしょ?


洋楽かぶれでもない、重いハードコアでもない、かといってポップスでもない、でも社会批判音楽、すなわちパンクロックともちょっと違う。

「日本語ビートパンク」

「日本語ロック」

「青春系バンド」

色んな呼び方をしながらも試行錯誤の末、めでたく(?)「青春パンク」というカテゴリーが誕生したわけだ。

その大半が、ボーカルがピンボーカル、そうギターを持たないってのも一つの特徴かもしれない。


2002年~2004年にかけて、青春パンクバンド達、いや青春パンクとカテゴライズされたバンド達は、飛ぶ鳥を落とす勢いで売れた。

テンポ170~200の8ビートに乗せて、愛や勇気、失恋と青春、そして頑張れ!と唄えば1万枚簡単に売れた。

中には2万枚、3万枚、5万、10万なんて売れたバンドも登場したほど。

ちなみにインディーズで5000枚売れたらヒットとされる。

ライヴ会場には、白いバンドTシャツ、首にはタオル、腕にはリストバンドのキッズ達であふれかえった。
イントロが流れると「オイ!オイ!」がこだました。


その全てがインディーズだったんだ。


だがそれも長くは続かなかった。

ファンの大抵は10代のキッズ。
大学という新生活が始まり、社会人になる人も当然増えた。物理的にライヴに行けなくなったり、若気のいたりといわんばかりに人はライヴハウスから人が遠ざかった。


少年の叫びは、少年少女じゃなくなった人達に届かなくなった。


しばらくして、流行りに便乗しただけのバンドは見る影なく消えていった。

本当に力のある、本当の音楽をやっていたバンドも、その煽りを受け解散が続いた。

勿論解散の理由はそれだけじゃない。ジャンルを問わず5年10年バンドを続ける輩の方が少ないわけだから、その全てを青春パンクの衰退のせいにされたのでは、解散したバンドも浮かばれない。

理由は様々だ。

ただ、青春パンクの甘い樹液をすった者もいれば、もろに被害をこうむったバンドもいたのは事実だ。



ジャンルは人が決める。
自分がどれだけロックンロールを叫んでも、聴く人がポップミュージックだと言えばそれが正解となる。

どれだけ綺麗に歌い上げても、爆音の苦手な人がパンク系だね、なんて言えばそれも正解。
ジャンルは聴く人が決める。

俺はガガガSPが好きだ。

STANCE PUNKSが好きだ。

太陽族が好きだ。

ゴイステもピンクリもジャパハリもHIGHWAY61もTHEPANも鴨川もPANもデストロンズもYOUTH26も藍坊主もアカツキも全部好きだ。

俺達を含めそれらを青春パンクと呼ぶなら呼んだらいい。
大歓迎だ。

それにむきになるほどもうみんなガキんちょじゃない。


でももう少年の叫びは唄えない。
だってもう大人だから。
立派な大人になれたかはわかんない。
あんな大人になりたくないと思った、そんな大人になってないか心配になるときさえある。


少年としてではなく、一人の人間として、愛を、勇気を、幸せを、裏切りを、生を、死を、強さを、弱さを、そして心からの頑張れ!を唄う。


対象は人間だ。
伝えたい相手はあなたと、そして全ての日本人だ。


別に徒党を組むつもりはない。
今までと同じように、それぞれの土俵でそれぞれが闘いつづける。たまに肩を組んだり、傷を舐め合ったりしながらね。


とにかく今日は最高に面白かった。

それが全てだ。