1972年富士スピードウェイの日本グランプリ
レースの年はまだ私は小学生坊主ですのでリアルタイムでは知りませんでしたが、当時のレースシーンは大変興味深く、いつかはお会いしたいとずっと思い続けておりますと、自転車に乗った吉本新喜劇の吉田裕(ゆたか)がすれ違い、また思い続けていると交差点でグラサンしたツートライブの周平魂とすれ違い、それはそれでうれしいのですが、船橋サーキットランというイベントで高橋晴邦さんが来られると知ってわくわくドキドキしたのであります。

 

そんなわくわくドキドキしつつ、2週間かけてワンオフの小さな小さなニイナナを作りました。
’72日本グランプリでのポールポジション71号車高橋晴邦号であります。



 

 

船橋サーキットラン2days、泉大津フェニックスに船橋サーキットのコースを再現してのレースは、船橋サーキットを見たことのない人も、長生きしたいために船橋ヘルスセンターに行ったチョンパという人も少ないと思います。
50数年前に日本で3番目に出来たサーキットでわずか3年ほどだけあったものです。
ここでのレースといえば浮谷東次郎をご存じの方も多いと思います。
浮谷東次郎が走ったサーキットを走りたいという方にはバッチリのイベントでした。
僕は走れないからせめてもカラスを飼ってみたいという人もいるかもしれませんが、それは鳥獣保護法で認められませんのでやめましょう。

 

 

 

 

 

ケガで左の手が使いにくかったのでSR311でなくSRL311で少し良かったようなお話もしました。

左ハンドルですもんね。

 

当時の写真にサインを頂きましたものは宝物です。
ミニチュアニイナナも受け取って下さいました。
ほんとよかったです。

 

 

 

ということで今日はその1 ~憧れのレジェンドドライバー高橋晴邦さんにお会いできました編~
続編は当日の素晴らしい車たちの様子をアップしたいと思います。

あっそうそう、バンカディ鈴鹿での私のゼッケンは71番です。
そういうことです。

黙っておりますがそういうことでありました。

遅くて申し訳ありません(^^;)