こんにちは、ウスイメガネの白シャツです!
今日は、判断基準について書きます。
生物にとって選択・判断することは日常では当たり前のことなんですが、当たり前すぎて意識せず(できず)、自分だけでは修正しにくいという面を持っていると感じています。
なので、自分がどう考えているのかを確かめるのも含めて、記事にしてみました。
まず、あなたは物事に対してどんな判断基準を持っているでしょうか?
良し/悪し
明るい/暗い
高い/低い
自分はですが、たいてい対義語が思いついて、その中でのかたよりで判断しています。
例えば食べ物を判断する際は
料理の質だったら、硬い/柔かい、熱い/冷たい、
量だったら、多い/少ない
味だったら、薄い/濃い、
とかいったことが頭に浮かび、
これらの組み合わせで、「この肉、けっこう硬くて熱いな。多いし味薄い。」とか感じるわけです。その結果、ナイフで筋を切って柔かくしたり、冷ましたり、塩をふったりする行動につながります。
その中で、例外もあるとは思いますが、「ちょうど良いところ」があると思います。
そしてその「ちょうど良い」は、だれにとっての「ちょうど良い」なんでしょうか?
そこを確認し、その場面に即しているかを考える必要があります。
「これは子供のころなら美味かったな」「この味の良さがわかるにはもう少し時間がかかりそう」っていう感覚があると思います(自分だけ?)。
そして、食べて無意識に「これはちょうど良い」と感じたのは、その子供の時の自分を基準にしているのか?もっと年を経た自分を基準としているのか?と問うていくわけです。
食べ物の話でたとえましたけど、自分であったら、治療者としての立場として、この外的刺激(情報含む)はどうとらえるのか?とかよく考えます。
例えば情報を取り込む際に、「イライラする」ことが行動を抑制し、「糧にしたい!」と感じることが行動を促すとして、
イライラの比重は10、糧にしたいと感じるのが90だとしたら、「読んで自分の糧にしよう!この発信者の行動を邪魔しないようにしよう。」となります。
逆にイライラの比重は90、糧にしたいと感じるのが10であったなら、「自分の精神衛生を優先!こいつの邪魔をしてやろう!」となってしまいます。
その情報のもつ価値にも左右されますが、糧にする態度をとるのか、邪魔をする行動をとるのか、判断のしかたひとつで変わってきます。
その数値を測る天秤のようなものは、どこに針を向けているのか?そこを追っていくことで、「自分は何をしたいのか?」「自分はどうありたいのか」?が見えてきて、大切にするべきものがわかるのかな、と思っています(現時点では)。
今回の例え話は極端に単純にしましたけど、いろんな要素が混じってきます。
その上で、判断して起こした行動で後悔しないように、自分の判断基準を定期的に見直していく必要があると思います。
長くなりましたが(そしてあまり締まってませんが)、最後まで読んで頂きありがとうございました!
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