みなさん、おはこんばんにちわ。
先日、伊勢原市大山の「八意思兼神社」まで行ってきたんですが、
山の麓に近い方にほぼ管理者以外来ないような状況でひっそり建っていました。
それはいいんですよ。東方の元ネタ巡ってると4割は寂れてるんで;
後日詳しくご紹介しますが、神社の脇にえらく急な階段がありまして、
何処に繋がってんやろ?と思って昇ってみたら、いつの間にか頂上まで登っていました。
何を言っているのかわからねーと思うが、次々現れる石段をもう少し、もう少し登ってみる!
って言ってるうちに、頂上近くまで来ちまったんだ……体が物理的に悲鳴を上げそうだった……孔明の罠なんてちゃちなモノじゃあ、断じてねぇ(孔明さんスイマセンw)何か月の頭脳の恐ろしい片鱗を味わった気がするぜ……!
自分は、JOJOの中でもポルポルくぅ~んが大好きです。5部で再登場したときは歓喜しました。
車いすでのディアボロ戦では善戦し、チャリオッツがレクイエムへと進化したり……
亀になったときは正直笑ってしまいましたが、チャリオッツ・レクイエムのところは鳥肌ですた。
おっと、話が90°逸れたぜ(^▽^;)
その頂上付近から頂上には「大山阿夫利神社」が建っていて、こちらも後日ご紹介します。
八意さんまでも徒歩40分越えの道のりをバス代けっちって往復したので足パンパンw
さてさて、今日は「洩矢神社とその周辺」についてご紹介!
まずは「洩矢神社」から。
コチラの御祭神は言うまでもなく諏訪地方の土着神の頂点「洩矢神」です。
ミシャクジ様と同一視されることもありますが、分けて考えましょう、東方的に。
建御名方神にボコされる前は、諏訪地方一帯を統べる神様だったようです。
が、諏訪大戦で負けてその地位を建御名方神に譲ることとなりました。
その大戦の時の本陣が、ここ「洩矢神社」だったそうです。
で、子孫とされる守矢一族は神長〈筆頭の神官)に収まったそうです。
早苗さんはこれと大祝のあいの子なのかなと思いました。
すわかなの一粒種ですねってことですねわかります。
では、写真を紹介んぬ
いやぁ、正直こいつを見たときには鳥肌総立ちでした。
あの、「洩矢」が刻まれている!そしてそれが、今!目の前に!
皆さんにならわかっていただけるはずです。この感動。
霊夢さんが攻め込みにきましたよーっと。
鳥居。注連縄が肩辺りまで垂れ下がっているうえに、鳥居自体が頭をぶつけそうな低さでした。
あと、地面を見て頂ければ分かると思いますが、掃除がされていません。荒れ放題。
うーん。信仰を奪われた神様の寂しさを感じます。
手水屋なんか、ブルーシートが張られていて、穢れを持ったまま入っていいんですか状態。
んごwぶれてる。くしゃみでもしたんですかヽ(;´ω`)ノこりはくまったぞ。
拝殿は諏訪大社と比べると何にもないも同然。
奪われし信仰よ・・・・・
いちいち、「洩矢」の文字に感動する。
霊夢さんと参拝んぬ。
アイコン絵はここで撮りました。
拝殿の縁側?です。
素晴らしいマッチング感。
どうせ、絵馬とかないんだろう・・・・・・・・・・・おまいら最高www
お行儀のいいことではないけれど撮ってしまった。思わず。
きっちり、巡礼されている方はされているようですw
※この絵馬を書かれた方で、何勝手に撮ってあげてるんじゃコラ!という方は
ご一報ください。すぐに削除いたします。
そして、征服の証であるかのように鎮座する御柱。
なんか興奮して五枚ほどとりました。多分周りに人が居たら、こいつイッテやがると思われたに違いありません。
総括すると、洩矢神社は現実でも東方でも既に信仰の廃れた神社のようです。
近所の方のお話によると、やはりご近所さんなので、初詣などお参りはするそうですが、
殆ど平時は見向きをされないそうです。
複雑ですね。設定どおりという感動と、廃れているという現実に暫く境内で黄昏てました。
ほい!次!
次は「藤島神社」です!
洩矢神社から天竜川を渡った先にある、小さな小さな神社です。
ここは、諏訪大戦の際、建御名方神が入諏訪した土地とされていて、
正に、諏訪大戦発端の地な訳です。
ここと、洩矢神社とで天竜川を挟んで戦ったとされています。
諏訪大戦は、洩矢神の投げる鉄の輪が、悉く建御名方の放った藤の枝にあたって錆びて崩れる
結果に終わり、洩矢神は負けを認め、その地位を譲ったという物です。
鉄が木に負けるのかぁ……
うーん。まだ陰陽五行説に侵食されていない頃の神話であることがよくわかりますね。
素晴らしいです。別に五行説が嫌いなわけじゃありませんが、純粋神道って感じで好きな
エピソードです。
写真紹介。ここからは、イクさんが力尽きてしまわれたので携帯で撮影。
諏訪明神すなわち建御名方すなわち神奈子様!
これが例の藤の木なんです?
神社と言ってもこれだけ。記念碑レベルなんすかねぇ。
で、戦場となった件の天竜川。
ここを挟んで諏訪子様と神奈子様はド突き合った訳ですねぇ。
情景が浮かんできます。
巡礼のいいところは、そこに彼女たちを感じられることです。
この軽いトリップも、巡礼の醍醐味かなと勝手に思ってみたり。
そして、最後。「御射宮司社」に行きます。
上の漢字がなまってミシャクジ様のよう。
ただ、神社の御祭神は猿田彦さんでした。
猿田彦さんは面白いですよ。東方的に。
まず、言うまでもなく射命丸文のスペカ突風「猿田彦の先導」、岐符「天の八衢」、竜巻「天孫降臨の道しるべ」の元ネタです。
まぁ、これは猿田彦さんが旅の神様だったとか、ニニギさんを道案内した時の道しるべのことを言ってたりですね。
なんで文がこれを使っているのかというと猿田彦が天狗のように描かれることが多いからでしょうね。
また、猿田彦はアメノウズメという、「天岩戸事件」で天照さんをおびき出すため踊った
神様の旦那さんで、その子孫が猿女君という姓です。
で、その猿女君は稗田姓を称するようになります。
もう、分かりますね?稗田阿求の元ネタ、稗田阿礼の祖神の夫が猿田彦なんです。
と、いう東方的においしい神様を祭った「御射宮司社」の写真をば!
ほむほむ・・・・・なるほど。御三狐神・・・・みさんこしん・・・・ミサコジ・・・・ミシャクジ
ミシャクジ様は御三狐神とも表記されるそうです。
狐・・・・・お稲荷さん??この由緒だけじゃわかりませんね。調べてみます。
さてさて、今回約7時間の滞在でまわれた神社これだけでした。
もう少しっていうかあと半分くらい回りたい神社があったのですが、
それは次回という事です。
とりあえず、東方巡礼録第一弾「諏訪」はおしまいです。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
これから、過去記事に遡って読もうと思ってくださった方々もありがとうございます!
次回の巡礼は「東京近郊の東方元ネタ」という事で、現在各地を回っております。
この巡礼の記録、又は東方、神道関係のなにがしかが次記事となるかと思いますが、
その時まで・・・・・・おやっすみなさい!うー!
追伸ぬ。
近所の大学でも受験があり、後輩のうめき声も聞こえ、また自分の所属する大学の入試も
近づいてまいりました。明らかに受験生の方が来ていいようなブログではありませんが、
ここで、受験生の方にエールを。
がんばれ!これを超えた1ヶ月後には高校生時代とは比べ物にならないほどの、
出会いと自由とお金(バイトバイト!)が待ってるぞ!
ここまで来たら、無理してでも(受験に差し障りない位)この2月3月を切り抜けてみろ!
世界史勢は前年度10月から今年度9月までのニュースの動きを把握しておけ!
それに関連する範囲が出る可能性が高いぞ!じゃあの!