正式名は、往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)

祭神  7柱
古代より火を司る神として信仰され、延喜式に記載されている。

伊古麻都比古神
伊古麻都比賣神


鎌倉時代に八幡信仰が盛んになり、合祀された5柱

気長足比賣命(神功皇后)
足仲津比古命(仲哀天皇)
譽田別命(応神天皇)
葛城高額姫命(神功皇后の母)
息長宿禰王(神功皇后の父)


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前回の記事  暗峠  で紹介した生駒郡伝説の別伝ですが、

 鶏を飼ふ処と飼はぬ処 
(生駒郡生駒町及龍田)
生駒地方一帯は、鶏を飼わない。飼えば其家に災厄がある。下流の龍田では沢山に飼う。

是は、昔、生駒の氏神の神功皇后が、三韓征伐にゆかれる時、早く起きようと思って居られたのに、時を歌う鶏が朝寝をして、役に立たなかったので、皇后は怒って、鶏を生駒川に流され、龍田の宮さんが、之を拾い上げられたからだと云う。




八幡信仰で、各地の八幡宮に神功皇后は祭られていますが、父母も共に祭られているのは珍しいです。

神功皇后への崇敬が深いという事なのでしょう。