羽曳野市古市古墳群にある応神天皇陵(誉田御廟陵古墳)と、誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)を訪れました。


祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后と住吉大神
八幡宮なのに、こちらは住吉さんもお祭りしています。

 
応神天皇の誉田は一般的に「ほむた」と言いますが、河内では「ほんだ」と読み、さらにそれが訛って
「こんだ」と呼ばれています。


この地域(志幾、古市)は応神天皇の時代以降、多くの百済系渡来人が居住し、「ほんだ」と発音しにくかったのか「こんだ」と呼ばれるようになったそうです。
 




拝殿には、左近の桜 右近の橘

永遠と、散り行く儚さ・・


ニニギノミコトは、大山津見神から、娘の石長比売(イワナガヒメ)と、木花佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)を妻として贈られたが、石長比売は醜かったので親元に帰してしまった。

それが理由で、寿命が石のような盤石なものではなく、木花のように儚いものになってしまいました。


古代に思いを馳せると、綿々と続く人々の暮らしの営みを垣間見、方や、僅か数十年、人の一生の儚さを感じずにはいられません。



誉田御廟陵古墳


誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)



拝殿の左近の桜 右近の橘