酒屋神社(さかやじんじゃ)
京田辺興戸宮前
御祭神
本社 津速魂神(つはやむすびのかみ)
配祀 応神天皇(おうじんてんのう)
御由緒によると
神功皇后が三韓遠征の際、神社背後の山に酒壺を三個安置して出立、帰国後その霊験に感謝して社殿を創立したとあります。
また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連(なかとみのさかやのむらじ)の一族が来往して、酒造りを伝え、祖神を祭ったものともいわれる。
式内調査報告によると「社名からの連想か、些少なりとも歴史的事実を反映したのかは詳らかではないが、津速魂神19世真人連公の孫・中臣酒屋連が神託によって酒彌豆男神の子・酒彌豆倉神を西側の山上に祀ったのが酒屋神社』という」とある。
当社由緒前段がいう神功皇后云々とは信ずるに足りないが、当社の西方山上に酒器を埋めた“酒壺”との区画があることからみて、古くには、そういう伝承が信じられていたのかもしれない(当地一帯は、神功皇后の出身氏族 息長氏と関係ありという)という事です。
拝殿
本殿 明治9年(1876年)の再建 一間社流造
不違(たがわず)の池
京田辺興戸
神功皇后の一行が訪れ、皇后はこの池の水で髪を洗い信託を受け、帰りにも立ち寄ることを約束した。そして皇后が約束を破ることなく帰路の途中にち寄ったので、“不違の池”と呼ばれるようになった。 池の側には、皇后が腰掛けたとされる「御床の石(通称とこいし)」が今もあり、遠征の酒盛りをしたときの盃の跡が、5~6ほど残っている。
またこの石には別の話も。昔、淀藩の殿様がこのあたりを馬で通ると必ず落馬してしまうのを、「御床の石」に原因があるとして腹を立て、池中に沈めてしまった。近年になり石は池から取り出され、現在のように置かれているとの事です。
真偽はともかく、千数百年前の事が今も伝承として伝わっていることはすごいと思います。





